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森泰夫はなぜ控訴されたのか?〜五輪談合事件の深層にあるもの〜

2月28日、東京地検特捜部が東京五輪を巡る談合事件で組織委幹部を含む7名と電通など6社を起訴した。メディアは挙ってこの事件を取り上げた。私は日経と産経にコメントを寄せたが、二紙は全く違う視点でのコメントとなった。前者には談合が起きた理由を述べ、後者には開催都市の責任を問うた。

視座は違っても論点は組織委の「無限の無責任体制」が露呈したことだ。五輪準備運営開催の使命を果たす五輪組織委の責任を全うするための機関になっていたかを問わなければならない。

恐らく今回起訴された森泰夫組織委運営局元次長は、テスト大会とその先にある本大会成功のために自らが奔走する他はないと思っていただろう。国、都、企業、スポーツ団体からの出向で成り立つ組織委は五輪開催未経験者の集まりであり、陸連から抜擢された森がスポーツを知るものとしての責任を強烈に意識していたと思える。

かつて、国際オリンピック委員会(IOC)総会を一手に任された経験を持つ私にはその気持ちが痛いほどわかる。「だから談合は仕方ない」と言うことではないが、特命随意契約にするか競争契約にするかは組織委が決められることであるのだから、その法的対処方法について吟味する必要があった。

実際、森は都から出向していた二人以上の上司に相談していて、最終的に今回問題になった手法について「了解」を得ていたようだ。しかし、いざ事が公になって法的規定からダメが出ると、その「了解」の意味を自己流に解釈して難を逃れようとする輩が多い。大会が成功すれば全て「俺の手柄」で、大会が問題になれば「我関せず」が日本スポーツ界役員の像とも言えようか。

テスト大会という本番でないが故に重要性を認識されにくく、本番同様の労力が必要とされる仕事が運営局次長に回ってきたのは、組織上の機能ではなく、森個人の能力への期待があったからだろう。実際、2018年にIOCの突然の要請でマラソン会場を東京から札幌に移転するという難題も彼の任務とされ、その前代未聞の難局に並々ならぬ力を発揮したのも彼であったようだ。

端的に言えば、本来、財団法人の責任を担うのは「理事」であるべきで、その意味で昨年発覚したもう一つの五輪汚職である高橋治之の事件は、「理事」であることを問われている。であれば、今回の談合事件の責任も「理事」が追うべきであり、責任ある「理事」を特定できないのなら、「理事会」が背負うべき問題だ。

にもかかわらず、奇想天外なことが起きている。当時理事であったどこかの大学教授などは「オリンピックを開催するだけの能力に欠けていたのではないかということを考えざるを得ない」などとまるで他人事の評論を堂々としている。「理事」としてやるべきことがあったのではないのか?まさにここに日本のスポーツ運営団体の弱点があるのであり、これが組織委もその例外ではなかった証である。無限の無責任体制という所以であり、真摯に仕事を考え、その仕事を実践したものが全ての責任を負って、切腹しなければならない世界である。

組織委理事であった人々も腹を切るべきではないか?少なくとも自戒の念くらいは表明すべきだろう。理事に就任した時は東京五輪の成功は全て自らの手柄にしようと思っていただろうから、本件の咎も自らの責任と思うべきだろう。

今回反省すべきは組織委が使命感なき理事の集まりであったことであり、今後の大規模スポーツ大会の運営には、使命に対して命を賭けることのできる人材を理事にすることである。それが最も重要なガイドラインである。

(敬称略)

2023年3月4日

明日香 羊

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編集好奇
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一番仕事をした人が報われない状況というのは納得できない。「責任は全て俺が持つ。思い切りやってくれ」と仕事を与え、「君はよく尽くしてくれた。後は俺が責任を取る」と言ってくれる上司がいたらなあ、と思うこの頃であります。

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