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セーヌ川を泳げる川にする方法〜オリンピックの不正使用〜

 パリオリンピックの中心にはセーヌ川がある。セーヌはフランスの「母なる川」でありパリの人々の心の拠り所である。その川を100年ぶりに泳げる川にするのはパリ五輪招致の隠された思いであった。2400億円をかけて上流浄水場の整備とともに約5万立方メートルの雨水を貯める巨大貯水槽を竣工しパリは本気で水質改善に取り組んだ。
 しかし長い年月「泳げない」川であった過去は簡単に消し去りがたく、本当に泳げるのか?という人々の疑念は増すばかりであった。かくなる上は泳いで見せようと、県知事やらスポーツ大臣やら最後にはパリ市長まで飛び込んで見せた。
 冷静に考えれば飛び込むよりも水質データを見せれば済む話だが、なぜかそれは公表されないのであった。そしてオリンピックが始まり、いよいよという時、大雨が降り、水質に影響して、トライアスロンが延期になった。下水道の水がセーヌ川に排出されるシステムは変革されていないので、貯水施設で処理できない水が流れ出たらどうしようもないというのが現実であるらしい。
 なんとか合格点が出て、一日だけの延期でトライアスロンの選手はセーヌ川に飛び込んだ。大きな事故もなく、セーヌ川水質問題は忘却の彼方へと移行するはずだった。しかし、6日に予定されていたマラソンスイミングの公式練習がキャンセルになった。
極め付けは、トライアスロン個人で銀メダルを獲得したニュージーランドのヘイデン・ワイルドの声明。彼は競技の2日後に大腸菌感染症の症状が現れたと述べ、チームメートもおそらく同じ理由で病気になったと語ったのだ。
 またベルギーの選手、クレア・ミシェルは病気により混合リレーを断念せざるを得なかった。大腸菌に感染したとはベルギー選手団は語っていないがその疑いは強い。スイス選手団はアドリアン・ブリフォードが胃の感染症にかかり、混合リレーを棄権すると発表している。
オリンピックは開催都市や開催国を短期間で刷新できるマジックを持っている。東京1964では新幹線、モノレール、首都高速などが大会前に完成し、経済復興のエネルギーとなったことは既に伝説になっている。あるいはロンドン2012では東部貧困地域をオリンピックパークに変え、後に11万人の雇用を生み出したと言われている。
パリ五輪でも色々なマジックが期待されていたが、その中心にセーヌ川を泳げる川に復活させるというミッションが託されていたのだ。
もっともお台場海浜公園が東京2020のレガシーとして都民のための海水浴場になっていれば、パリ2024のお手本になっていたのだろうが。私がいくら訴えても都知事も国も小手先の対処療法を続けた。
しかしお台場海浜公園では都知事も五輪大臣も誰一人飛び込んで見せようとはしなかったが、パリでは市長がセーヌに自ら飛び込んだ。それはあたかも「例え水質基準が国際競技連盟の厳しい基準に達していなくてもどうか私のようにトライしてください」と言っているようだった。誰に?「選手」にである。
こうなるとトライアスリートやマラソンスイマーは泳げる「セーヌ川」という理想を実現し、オリンピック以降に市民がそこを楽しめる場所と信ずるために身を投げ出すパリを救う騎士団に見えてくる。たとえ病気になろうとも覚悟を決めて飛び込んでいるような。
これは新たなオリンピックの使い方かも知れない。できるだけ経費を節約して、レガシーを残すミッションは選手に補ってもらうのである。設備投資は2400億円で抑えて後は選手のパフォーマンスに期待する。
そう言えば、選手は例え嘔吐や病気を訴えても誰もそれがセーヌ川のせいだとは言わない。
世界水泳連盟の水質基準では、大腸菌の最大許容値は100ミリリットル当たり1000CFU(微生物コロニー形成単位、Colony-forming unit)、腸球菌は400CFU。この数値を越える水で水泳すれば各種病気にさらされる可能性が高い。
恐らくマラソンスイミングはセーヌ川で強行されるだろう。水質データを示すことなく。
残念なことだが、私にはこれはオリンピックの不正使用にしか思えない。それならこの場合の正しいオリンピック利用は何か?
このミッションを成功させるためにはもっと現実的でなければならなかったのではないか。浄化システムの根本的な改革をいくら経費がかかろうとも「選手のために」やってみるべきだった。招致が決まってから7年も経っているのである。そのシステムが成功すれば、それはお台場の逆手本にもなるだろうし、発展途上国へのロールモデルにもなるだろう。それが本当のレガシーということだ。
もっとも選手の果敢な挑戦とその結果を見て、パリ市長が猛省し、本当のセーヌ川浄化に踏み出せば、それはそれで映画ミッションインポッシブルの結末のように未来につながるかもしれないが。

(敬称略)
 
2024年8月8日
 
明日香 羊
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編集好奇
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パリ五輪では選手村のエアコンがないと大騒ぎであった。クライメートポジティブを目指す組織委は冷水床システムによってカバーできるとしていた。いくつかの選手団の苦情で、組織委は妥協してポータブル冷房機を手配したという。というような話を聞いて、かつて選手団本部員として選手のお世話を仰せ仕った私は思うのだが、「そんなこと一年前の選手村視察時点から問題にして、要求するならその時からしておけ」って話である。次号でスポーツ思考します。

開会式について五輪アナリスト春日良一が分析しました。Forbes Japanをご覧ください。
https://forbesjapan.com/articles/detail/72709

「7.26パリ五輪開幕!徹底、実践五輪批判」が日刊ゲンダイで毎週木曜日に連載されています。オリンピックと平和について激論しております。ご高覧いただければ幸いです。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/columns/4728/495
 
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