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人よりすごい!ってつまり何なのさ

夕食後、トイレからリビングに戻ると、息子と夫が何やらもめていた。
指相撲か何か対決をして、息子が負けて「すごくないなんてダメだ!」と悔しがったようだ。
そこで夫が、そんなこと言ったらあかん的なことを諭して、怒られたように思った息子が泣いた…ということみたい。
途中から様子を見た者としては、まだ難しいのでは〜とも思ったが、まぁ二人とも真剣だったことには違いない。

6歳男児。小学校入学を前に、自分がいかにすごいかを確認することがぐっと増えた。
オレのこと何倍好き?
オレも〇〇できてすごいだろ?
すごいって言ってよぉ。…

周りとの比較が自然と始まる年頃なのだろうか。
自分は何者かを探る、旅の入口なのかもなぁ。

息子の確認が増えてきたので、「〇〇ちゃんはすごいね」という周りと比較する言葉に注意した。
それでも、他の子が空中逆上がりなどを見せてくれると、わー!すごいなぁ!と思うし、無意識に口から出ているのだろう。
息子は空中云々どころか、前回りも怖いのだ。

周りが気になるのは、とても自然なことだ。
私の子ども時代も、振り返ると比較のオンパレードだった。そしてそれは気持ちの良いものではなかった。
そういえば、いつだったか、80点のテスト結果に母からダメ出しを受けた。
私は「えー!なんじゃそりゃ!」とやる気を失ったが、なぜか、親を喜ばせるための勉強とはならずに済んだ(成績は上がらなかったが)。
母は我が子に何を求めていたのだろう。
どんな子どもなら満足したのだろう。

社会に出てからも周りとの比較は続いたし、より傷の深いものもあった。
そして、それをバネにして頑張る人が羨ましかったが、どうしても落ち込んでしまう自分だった。
落ち込む根っこには
「私は天才ではないが、そこそこにイケている。」という思いがあって(お恥ずかしいが)、負けず嫌いな気持ちが捻じくれて、ダメさを認められなかったのだと今は思う。

そして今の私はどうだろう。
人より優れていたい気持ちはどこへいったのか、というと
まぁこんなものだが、まだまだ成長していきたいなぁ…と着地した。

自分より能力のある人がわんさかいるって心底わかったし
生きていくことって、結局自分が自分に○を出せれば幸せなのねって、少しずつ沁み込んできたのだろう。
それは産後に自分の未熟さと向き合うしかなかったことも大きいし
子どもと過ごすなかで、より「個別化」が腹落ちしつつあるからだ。

皆まだまだ発展途上。
人は死ぬまで発展途上なのだ。

とりあえず6歳の息子には
そうか悔しいのかー!
そんな君もイイゼ!
なんて言葉をかけたい。

そして子どもだった私には
自分が本当に良ければいいんだよ。
と言ってあげたい。

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