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溢れた五月
五月の日記をぱらぱらと見返している。
パラパラとぱらぱらと。
ついでに去年の五月の日記もぱらぱら。
うんうん。うーん。
悩みの種があんまり変わっていなくて、一年以上似たような悩みを大切に抱えていた自分が嫌になる。嫌になる、というか意味わかんないな。
日記って、寝る前に書く人が多いと思うのだけど、私もその一人で。
一日の終わりでもあるから、疲れて眠くて、感情に言葉が追いつかなくなって、書くのを諦めてしまうこと(内容)って割とあって。
字をペンで書くよりも、こうやってキーボードを打つ方がはるかに早い。言葉を追い越した五月の感情や思考たちを振り返ろうかと思い、書き始めている。まあ、それより早い記録の手段は声に出すことだってのもわかっているのだけど。書きたいから書いている。
最近、空きコマを大学近くの公園で過ごすことにハマっている。
図書館も食堂もどこもかしこも混んでいる。大学には人が多すぎる。
空きコマに散歩をするという楽しみ方を教えてもらって、その時に見つけた公園だ。特にお気に入りなのは、地球儀みたいに回るジャングルジムがあるところ。グローブジャングルという名前らしい。これにぶら下がりゆっくり廻って空を見上げる。真昼の月と目が合う。不思議な気持ちだった。嬉しくなった。(ひとりでこれをしているからだいぶ気持ちが悪い)
はじめての場所を訪れるとき、知らない土地を歩くとき、私はよく「ここでゆっくり本を読みたいな」と感じる場所を無意識に探しているような気がする。もっと正確に言えば、どんな環境でもお気に入りの、自分だけの空間のようなものを見つけてしまう。つくってしまう。小学生の頃は湿った校舎裏、中学生の頃はオレンジの光が差し込むすりガラス張りの音楽室、高校生の頃は冷たい色の美術室。みたいに。
きっと、私はこういう場所を見つけるのが好きなのだと思う。
さっきのお気に入りの公園の一部。毎回この場所で出会える人間が違っていておもしろい。いつか「この場所で出会ったひと」としてまとめを書こうと思う。
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私はいつもどこに座っているのでしょう
一人旅でふらふらと知らない街の海へ行き、お気に入りの場所ができたこともある。
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私が、一人で居れる場所を探す理由ってなんだろう。居場所が無いことは、不安なのかな。
居心地の良さってなに。ここにずっと居たいなって思う場所に、ずっと居れたことなんてない。立ち止まって、座る。そこが私の「場所」になる。でも、その場所は──
そうやってまたぐるぐる沈んでいく。
ああ五月蠅い。疲れる。
五月を振り返ろうと思って書き始めたけど、「最近」という場所に腰を下ろしてしまったもんだから、たいしてたくさんのことは書けなかった。でも、ひとつ気づいたことは、場所ができると、目の前の動くものたちを、ゆっくりと見つめられるんだろうな。私は。
良くも悪くも立ち止まり過ぎているのかもしれない。
長くなったので、もう終わり。
六月へ行こう。捲れずにいるカレンダーを捲ろう。ね。
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