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3000文字チャレンジ!第126弾!【書くということ】

3000文字チャレンジ!が、第126弾!【書くということ】をもって終了する。3000文字管理人さん、お疲れさまでした。

素敵なイベントだった。おもしろい記事を読めたり、3000文字を書くのに非常に悩んだり、苦悩した、さまざまな思い出がよみがえる。

3000文字チャレンジを知ったのは、ツイッターのタイムラインだった。最初は読み専だった。3000文字に挑戦している作家さんやブロガーさんの文章は、楽しく、軽快、軽妙な3000文字。そこには、文章を書く楽しさがあふれかえっていた。

最近のブログは、写真に頼りきっているブログがおおいように感じる。わたしのブログも、記事のあちらこちにペタペタと写真を貼っている。

そんな時代に文字装飾もなし、写真もなし。なんとストイックで頑固なイベントなんだと思った。

3000文字を書くことによって、文章の構成力、文章の筆力もあがるのではという下心もあったことを自白させてもらう。

3000文字の仲間に混ぜてほしくなり、3000文字チャレンジに挑戦しだした。

おそらく、最初に投稿したお題は『うどん』だったと思う。うどんにからめた思い出をブログに書いた。

ブログに3000文字を書くのは、なんか違うなと思い。3000文字を投稿するために、『note』に登録し、3000文字チャレンジの舞台をnoteに移した。

86弾の【卵かけご飯】から、92弾の【アニメ】まで毎週、3000文字を投稿した。これ、すごくね、まじで、すごいことだと思うよ。文字数でいえば、18,000文字よ。ちょっとした小説じゃん。やるじゃん。3000文字を書いたという達成感と万能感から、イキったりしたもんだ。

ただ、体調が悪くなったり、仕事が忙しくなり、しばらく投稿できない日々が続いた。

つぎに投稿したのは、99弾【酒】から、106弾【冷蔵庫】まで、7週連続で投稿した。

だいたい106弾あたりで、3000文字チャレンジのやる気を失った。

なぜか?投稿してもスキをあまりもらえなかったからだ。

3000文字チャレンジに挑戦したのは、文章の構成力、文筆力UPの狙いにプラスして、承認欲求を満たされたかったんだろうな。文章スゴいっす、いい文章でした。と、チヤホヤされたかったのだ。

マスをかく、文字を書く、ほぼおなじだったわけだ、一人で気持ちよくなってただけなんだな。うんうん。

マッ、すべての原因は、わたしの文章力不足だろう。スキをもらえないのも、チヤホヤされないのも。

『嫌われる勇気』で一躍有名になった『アドラー心理学』はこう言っている。

「承認欲求に振り回されるのはやめよう」と、チヤホヤされるためだけに文章を投稿しても、おもしろい文章が書けるわけがない。

ソッ、と3000文字チャレンジから退場した。

文章を書くことは続けていた。ブログやWebライターの文章は書いていた。

ちょっとブログの収益もあがりだし、納品したライターの記事をホメてもらうことも増えた。ブログ、ライター記事は承認欲求など、頭からポイっと放りなげ書いた。その結果、ブログの収益があがり、納品先にも褒められたのではないかと考える。

ブログの読者さん、納品先のことを考えて書いた記事は、よい結果になることがおおい。そうなると、また蛇の首のようにムクムクと持ちあがる気持ち、それが承認欲求だ。

もっと多くのブログの読者を集めたい、納品先の相手にもっと褒められたい、という承認欲求が夏の入道雲のようにわきあがってくる。承認欲求と折り合いをつけながら、これからも文章を書いていくしかないんだろうな。

座禅や瞑想でもすれば、承認欲求を抑えることができるのだろうか。お釈迦さまが菩提樹の根本で悟りをひらいたように、座禅や瞑想をしていると、文章を書く真理に達することができるのだろうか。

お釈迦さまで思い出した、書くということは未来へ情報を残すことだと思う。

どういうことか?

お釈迦さまの言葉、名言、教えは、2021年も残っている。それは、お釈迦さまの言葉を覚えていた人がおり、それを書きとめた人間がいたので、我々はお釈迦さまの言葉をいまも知ることができる。わざわざ、遥か遠くのガンダーラーまで猿と豚、河童と果てしない旅をする必要がないわけだ。

孔子の『論語』や、ソクラテスの言葉を書いた人がいたから、孔子の考えや、ソクラテスの哲学的な教えを学ぶことができる。

文字に書くということは、未来永劫、人類が生きている限り残りつづける。さきほどのソクラテスのお嫁さんは、悪妻だったと書かれたがゆえに、いまでも悪妻とググろうとすれば、ソクラテスですか?とグーグル先生に予測されてしまう。悪妻ではなかったという説もあるが、わざわざ悪妻ではないと書かれていないので、悪妻でなかった説は分がわるい。

また、臭いチーズをナポレオンに近づけたら、「ジョセフィーヌ、よせ」と言ったと書かれてしまったことで、ジョセフィーヌ=臭いチーズの香りのイメージが固定されてしまった。ナポレオンの都合で離婚させられたというのに、ナポレオンが没落したあとも、援助しつづけた優しい女性だったことを知っている人のほうが少ないのではないだろうか。ジョセフィーヌと離婚してから、ナポレオンの没落がはじまったという人もいる。ナポレオンの最後の言葉に、ジョセフィーヌという言葉があった。

ナポレオンは日記や手紙は書いていたが、一冊の本を書いたのだろうか?グーグル先生にきいても、あとから他人がナポレオンの日記や手紙をまとめた本しかでてこなかった。

ナポレオンのセリフで有名なのは、やはり短くキャッチな言葉だろう。

「俺が状況を作るのだ。」漫画の登場人物かな?

「我輩の辞書に不可能という文字はない。」一番有名な言葉でしょうね。このナポレオンの言葉は、何千年後も地球に残っているでしょう。

ナポレオンが中国の有名な兵法書『孫子』を読んだかどうか分からないそうだ。ナポレオンの日記か手紙が見つかり「いやぁ、孫子最高だわ」みたいな文字が書かれていれば、分かるんでしょうがね。

ナポレオンの愛読書として有名なのは、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』がある。また、ゲーテも『ゲーテとの対話』のなかで、ナポレオンについて言及している。

『ゲーテとの対話』も、ゲーテと仲のよかったエッカーマンが、文字に書きのこしてくれたおかげで、いま現在もゲーテの考えが、本をひろげると目のまえにゲーテがいるかのように伝わってくる。

「兵士諸君、ピラミッドの頂から、四千年の歴史が諸君を見つめている。」ピラミッドの戦いのまえに、兵士を鼓舞するためにナポレオンが言ったセリフだ。言葉の意味はわからんが、雄大、悠久のエジプトの歴史を感じさせられる。

エジプトといえば、ナポレオンに匹敵する天才カエサルの言葉も残っている。

「Veni, Vidi, Vici (来た、見た、勝った)」

カエサルは短い言葉だけでなく、有名な本を書いている。『ガリア戦記』だ。ローマの軍隊のことを正確に書いているのは当然だが、カエサルは敵の人数、風習、風俗を細かく描写している。

カエサルの敵は、文字を書くことがなかった。(記号は使っていた?)カエサルの敵の風習、風俗を研究するのに『ガリア戦記』は役にたつ。

『史記』が冒頓単于のことを書かなければ、モンゴルの歴史が分からなかったことに似ている。モンゴル人が文字を持つのは、チンギス・ハーンの時代まで待つことになる。文字を重要視していなかったからか、チンギス・ハーンの墓の位置は現在も謎のままである。

文字を書くということは、現在の心境、情報を伝えるだけでなく、未来へ向かって情報を発信することでもある。


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