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うどんと共に歩いたおっちゃんの半生

うどんと歩いた半生を書いてみようと思う。

最初のうどんの思い出は「肉うどん」

共働きの家で育つ。

祖母が料理を作ってくれる日があるのですが、今風にいえば、メシマズ婆ちゃん。

すき焼きをすれば、大さじ10杯ぐらいの砂糖をすき焼き鍋に投入し、血糖値を爆あげしてくれる婆ちゃん。

「甘い」と文句をいえば、祖父に食べなくていいと怒られた夜もあった。

とくにキライだったのが、素麺を山盛りゆで、水をはった器にいれ西瓜を浮かべた昼ごはん。

意味がわからない。西瓜は水っぽくなるわ。素麺も西瓜の匂いするし、おっちゃんになった今も西瓜は少し苦手だ。

そんな婆ちゃんのアタリ料理が肉うどんだった。どういうわけか肉うどんだけは美味かった。

おっちゃんは、ドンドンうどんに惹かれるようになる。

最近婆ちゃんの肉うどんを食べる機会があった。

「あれ??言うほどうまくないな。普通や。」

ほかの料理が壊滅的だったので、肉うどんを美味しくかんじていたようだ。

おっちゃんは、肉うどんはトロロ昆布を入れる派。

二日酔い時、肉吸いがいいと聞いたが、飲んだらゲロを吐いた。ほんとうに二日酔い時にいいのだろうか??

小学高学年まで、1年中、半ズボンで遊びまわっていた。勉強も習い事もまったくしない生活。

母が心配し、「塾」にいくか、知り合いがやっていた「ボーイスカウト」どちらかしなさいと選択を迫られた。

おっちゃんは「ボーイスカウト」と答えた。

青い猫型ロボットがいれば、過去の自分をうどんで首を絞めてでも「塾」にいく選択をさせるだろう。

残念ながら日本中の人々がほしがる、猫型ロボットは手元にはない。

ボーイスカウトの下、カブスカウトに入団。

カブスカウトの活動は、学校に集まり、ロープや手旗を習ったり。募金のような活動をしていたと思う。

正直なにをしていたか覚えていない。なぜなら絶望的にカブスカウトの活動が面白くなかったからだ。

カブスカウトは面白くないだけだったが。ボーイスカウトはウンチをかけたカレーうどんだった。

ボーイスカウトにあがると、1ヶ月に1度ほどのキャンプがあった。

ボーイスカウトの班ごとにわかれ、カレーを作るのだがマキで火力を調整するため、カレーの具に火がとおっておらず、ゴリゴリしたニンジンやジャガイモ。

炭化してしまった白米。

先輩のボーイスカウトは焦げてない白米をたべ、野菜をのけ牛肉だけをとりわける。

一番下の世代の人間は、残った残飯を食べることになる。

先輩のくつ下や、ロープを切ったとしても許されるだろう。

徐々に料理を作る知識をつみかさねていったのは、ボーイスカウトのおかげではある。

3年後には、キャンプでもカレーを作りに失敗しなくなる。

ボーイスカウトのお母さん達がキッチン部屋を借りて、カレーの作り方を教えてくれたのだが。

コンロひねったら、火がつくような便利な環境じゃねぇんだよ。と考えながら、ニコニコ顔でカレーの作り方を習っておいた。

ボーイスカウトの最終年、ボーイスカウトジャャンボリーというお祭りに参加した。

ボーイスカウトジャンボリーで、令和天皇と雅子様と会話をかわしたことが、ボーイスカウトを続けて唯一良かった出来事。

ボーイスカウトのうえにはあがらず、やっと辞めることができた。

いまだに、ジャガイモ&ニンジン&タマネギのカレーライスが嫌いなままだ。

日本人全員がカレーライス好きみたいな風潮やめませんか??

高校に入学し、バンドをはじめた。

バンド練習場所のちかくに「比叡」という立ち食いうどん屋によく通った。

金剛戦艦型の、ひかく的地味な子と同じ名前のうどん屋だ。

バンドをしていた時期は、マクドも88円とかキャンペーン中だったと思う。

高校はマクドとうどんを食べていたら卒業していた。

モテるためにはじめたバンド、モテなかったので、高校で卒業することになる。

なんとか大学に進学。

クルマの免許を取得するために、友人3人と免許取得合宿に参加。

路上にでるための試験でおち、一人だけ帰還する日がおくれる。

一人で食べたうどんはショッパイ味がしたゾ。

免許を取得し、車で遊びまわるキャンパスライフを送っていると。

運命のうどんと出会うことになる。【 讃岐うどん 】である。

うどん県出身の友人の実家にお邪魔し、1週間ほど遊ぶ計画をたてた。

うどん県についた初日。ちょっとボロい感じのうどん屋にいく。

ぷりんぷりんした食感、粉のふんわりした甘さ、つるつるしたうどん表面。

ずっと食べていた、うどんはなんだったんだろうと。

うどん県にいるあいだ、朝昼飯はかならず讃岐うどんを食べていた。

チクワ、アナゴ、卵と飽きることはなかった。

3日目にして「裏手の庭からネギ切ってきて頂戴」といわれビックリ。

おおらかな雰囲気のうどん県。が好きになった瞬間でした。

つぎに絶対にわすれない「うどん」の話をしようと思う。

大学時代、うどんが伸びる速度より早く別れた彼女の影響で、スノーボードをはじめる。

冬になるたび雪国にでかけ、スノーボードを楽しんだ。

蕎麦で有名な県に、スノーボードを楽しみ。昼飯を食べようとゲレンデにあるレストランに入店。

メニューに温かいうどんがあったので、迷わず注文する。

出てきたうどんを食べて、びっくり。これお湯に醤油いれただけじゃない??

うどんもいまいち美味しくない。蕎麦が有名な県はおとなしく蕎麦くっとけ。な。

遊びまわっていたおかげで、大学を浪人しそうになるが、なんとかストレートに大学を卒業。

しかし就職できず、アルバイト生活に突入。

夜勤のアルバイトを3年ほど続けることになる。

この時期、爆発的に讃岐風うどんチェーン店がふえてきた記憶がある。

「お手軽にうどんを楽しめるよい時代になったな」と考え、将来の不安から目をそらしていた。

うどんを食べながら必死に勉強した結果。3年で宅建士の資格に合格。

みんなの想像するより、ややブラックじゃない不動産会社に入社。

うどん県に行くこともなくなり、チェーン店でうどんを食べる毎日を送る。

家で食べる生タイプで一番おいしいのは「◯◯婆ちゃんのうどん」だと思う。

ニコニコしてる婆ちゃんの、うどんが不味いわけがない。祖母とトレードしてもらいたい。

アルコールと「◯◯婆ちゃんのうどん」をきらすことはなかった。

思えばこの頃から、アルコールの摂取量が増えていた。地味なストレスがあったのだろう。

東日本大震災が起こる。

漠然と将来に不安を覚え、資格をふやしておこうと決意。

将来に備えようと、株をしたら財産が半分ほどになったことも追記しておく。

「◯◯婆ちゃんのうどん」を食べながら勉強し、管理業務主任者の資格を取得。

うどんのように白い職場に、再就職する。

ここまでとくに書いてないが、結婚はしていない。

家庭も趣味をもっていなかったので、休日ヒマを持て余すようになる。

「きしめん」「稲庭うどん」「水沢うどん」「桐生うどん」「氷見うどん」「伊勢うどん」などお取り寄せうどんにハマる。

「ワンクリックで日本中のうどんが届くいい時代になったな」とニッコリ。

そんな生活を続けていると、自分でうどんを打ちたくなった。

定年した人がハマる、陶器づくり、蕎麦うち。

ヒマを持て余すと、なにかを作りたくなるのだろうか??

「ググればうどんの作り方がパッと検索でき、Youtubeで料理工程まで動画でみれる便利な時代になったなぁ」とおっちゃんは思う。

さっそく、うどんを作っていく。

うどん専用の中力粉が一番よいが、薄力粉と強力粉をまぜあわせてもよし。

水をくわえ、生地をまとめる。そして有名な足で踏む工程だ。

「わたしがうどんを踏みました」みたいな可愛い女の子の写真をつけたうどん、売り出したらバカ売れすると思う。

つぎに生地をのばす作業にはいる、これがなかなか上手く生地をのばせない。

ズルっと生地をやぶいたこともあった。

つぎの作業も曲者だ。包丁で生地を切っていく作業。均等になんて切れやしない!!

麺棒でキレいに生地を伸ばし、均等に生地をきれる人は人間国宝にしてもいいと思う。

うどん作りを楽しんでいると、耳にはいってきた「老後2000万問題」だ。

Webラィテイングを副業にしようと、ブログとツイッターをはじめる。

ブログでは麺づくりは1つのカテゴリーになっている。

うどんと共に成長してきたおっちゃん。これからもうどんと共に成長していくだろう。

「棺桶には、うどんをいれてくれ」と姪には頼んでいる。

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