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海外の有名な みじかい 長篇小説『 動物農場 』と『 老人と海 』を読んで

海外の有名な みじかい 長篇小説。

と、書きだし違和感をおぼえた。
違和感もかんじる、おぼえる、ある、どれが正解だろうといつも迷う。

日本語として、みじかい 長篇小説は、おかしいと思う。

あるいは、『 動物農場 』と『 老人と海 』は中篇小説だろうか。
みなさんは、どう思いますか?

『 動物農場 』も『 老人と海 』もはかったように似たページ数。

日本で有名なれども文字数のすくない『 山月記 』や『 檸檬 』などは、文庫本にほかのタイトルも収録されている。
文庫本に、ひとつのタイトルしか収録されていない。
それが長編小説とよべる指標のひとつではないだろうかと思った。

『 走れメロス 』の文字数は1万文字。
そして、『 走れメロス 』いま、ひとつのタイトルとして一冊の文庫本になっている。

いま、小説の賞に応募しようとすると、文字数の下限は2万文字に設定されている。
つまり、走れメロスは2回激怒して2回走らなければならない。
そして、文庫本として発売するには、出版社のかたがたは2万文字が最低ラインと考えていると思われる。

調べてみると文庫本の100ページは、5万文字ほどになるそうだ。
『 動物農場 』も『 老人と海 』も5万文字を超えているようだ。
じゅうぶんに長篇小説だといえそうだ。

では、みじかい、という形容詞はなぜつくのか。
日本人が想像する長篇小説よりも、みじかい、からつきだした。
けれども、短篇小説や中篇小説とよぶには文字数はある。
苦肉の策として、みじかい長編小説というカテゴリーにわけられた。

しらんけど。

『 動物農場 』には、開高健のエッセイと談話がついてくる。
そのページ数は、『 動物農場 』のページ数の三倍。
開高健ファン垂涎の一冊。

そのなかで、『 動物農場 』の作者オーウェルが書いた有名な『 1984 』は、失敗だと書かれている。
ちなみに、『 1984 』は、村上春樹さんの『 IQ84 』の元ネタだと言われている。

寓話として、『 1984 』は、ハウは書かれているが、ホワイが書かれていない。
どのように権力を行使するかは書かれているが、なぜ権力を手にしたのか、どのように権力を獲得したのか、それが書かれていないと指摘されている。

その点『 動物農場 』は寓話として完の璧だと評している。

『 動物農場 』は、民主主義と独裁者が、この世に存在しつづけるかぎり生き続けると思う。
どれだけ時がたとうとも読みつがれるであろう見事な寓話。

『 動物農場 』に登場する動物たちが、国の指導者や政治家、身のまわりの人物に見えてくる。
歴史上に存在した、いまも生きている独裁者のような豚、なにも考えずに身を粉にして働きつづけ貧乏なまま死んでいく馬、ひとの意見にながされるままに騒ぐ羊たち、権力者のために人民を扇動する豚。

どの国でも、読者が『 動物農場 』に登場する動物を実在の人物をあてはめ読みつづけることだろう。
『 1984 』も読んだ。
拷問シーンが、エロい。という印象はのこっているが、それ以外の文章は平坦で虚ろだ。

『 動物農場 』は、すこしむずかしい絵本のような文章で読みやすい。
けれども、文章のスキマからは、人権と富の不平等、不均等があふれだし、心をえぐりだし、ささくれだたせる。
読みおわったあとは、すべて達観したロバのような気持ちになる。

反対に『 老人と海 』は、これからも頑張っていきようと思わされる。
読み終えたばかりなので、『 老人と海 』については語る言葉をもたない。

そこで、『 開高健の文学論 』から引用させてもらう。

『 老人と海 』は認めるけれども、他の長篇は必ずしも褒められない。

開高健の文学論

長篇よりも短篇のほうが、感性の純粋抽出という点においてすぐれている。
聞こえる、感じる、触知できる、初期の短篇にもつ美徳が『 老人と海 』にはあると書かれている。

『 老人と海 』を長篇と書いている。
『 日はまた昇る 』『 武器よさらば 』『 誰がために金は鳴る 』とおなじ長篇だと書いている。
それらの長篇とくらべると『 老人と海 』はみじかい。
このあたりから、みじかい長篇小説といわれるようになったのかもしれない。

しらんけど。

ヘミングウェイの評論家のひとりはかく語れり。
ヘミングウェイは長篇よりも短篇が読みつがれると。

これからの世の中は、長篇よりも、みじかい長篇がこのまれるようになるのかもしれない。

ただ、みじかいというだけなく、聞こえる、感じられる、触知できる、手ごたえのある、人の心をえぐり、ささくれだたせるみじかい長篇がこのまれるのかもしれない。

いい結論にたどりついた、ここで筆をおこうと思った。
けれども、いま飛ぶように売れている小説は20巻とか30巻を越えている超長篇小説ばかりだ。
いま、売れる小説を書くなら超長篇を書くべきかもしれない。




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