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『 ビーグル号航海記 』を読んで。著者は進化で有名なかのダーウィン。ダーウィンの冒険航海日誌

ダーウィンの名を聞き、頭のうえにピコーンと思いつくこと。

ダーウィンにくわしい人であれば、高級陶磁器メーカーのウェストウェッジに叔父がいた。

ダーウィンの遠い親戚に、悲劇の王妃エリザベスがいたり、偉大なる政治家チャーチルがいる、と答えるかもしれない。

けれども、ダーウィンといえば『 種の起源 』

もしくは、お猿の体にダーウィンの顔をくっつけられたあの風刺画。

驚天動地の本であり、西から日が昇ったほど当時の人たちは驚かされたそうだ。いまなお読んではいけないと言われている国や地方があるそうだ。

なお、私は禁じられてはいないのに『 種の起源 』を読んだことはない。

お猿が進化して人間になったと教えられた。ただ、いまだに私は、ほんまか、と少し疑っている。

環境に適応して、姿形を少しづつ変化させるのはわかる。けれども、お猿から、アウストラロピテクスや原人から人間になったと言われている。

が、もうすこし段階をふんでいないの?と考えてしまうのだ。

たとえば、ゾウガメからガメラになった、みたいな、ゾウガメとガメラのあいだに、もう2~3種類いるように、原人と人類のあいだにも種族がいたように思うんだよね。

読者の皆様はどう思われるだろうか?

それは、それとして、前置きが長くなりすぎた『 ビーグル号航海記 』の話をはじめよう。

ダーウィンが、ガラパゴス諸島をおとずれ、そこに生息するイグアナや陸ガメ、鳥たちを見て、考え、進化論にたどりついたのはご存知だろう。

では、なぜ、ダーウィンは、ガラパゴス諸島をおとずれたのか。

それは、ダーウィンが、帆船ビーグル号にのりこみ南半球を横断するように世界一周したから。

その航海というよりも、冒険ともよべる旅の様子を簡潔で緻密な文章で書きつらねたのが『 ビーグル号航海記 』

イギリスを出発し、南アメリカ大陸の東側を南下し、ケープホーンでビーグルターンをきめ、南アメリカ大陸の左側を北上しガラパゴスへと到達する。

余談になるが、アメリカの南北戦争の単語をはじめて知ったときにこう思ったものだ。北アメリカ大陸と南アメリカ大陸が争ったと。壮大な戦争だなと感じいったものだ。

ガラパゴスに到達したあとは、タヒチ、ニュージランド、オーストラリ、タスマニアにたちより、アフリカ大陸の先端ケープタウンに到達する。

そして、ナポレオンが幽閉されたことで有名なセントヘレナを経由し、ふたたびブラジルへ。そして、イギリスへと到達する。

『 ビーグル号航海記 』を読むまでは、セントヘレナは地中海のどこかにある島だと思っていた。
あの偉大なるナポレオンですら、セントヘレナに流されてしまっては、フランスへと帰れないだろうなと思った。

5年ちかくかけて、南半球をぐるりと一周し、そこで見た動植物や人物、自然環境をシンプルな言葉で書きつづっている。
イギリスは自然について書きつらねた名著がおおいことでもしられている。
そのようなお国柄なのだろう。

ダーウィンが、なぜ、ビーグル号にのりこんだのか、それは、女王の命をうけ、その土地に生きる動植物の標本や鉱物、化石を採集するためと言われている。

じっさいにダーウィンは、その土地に生きる生物、鳥から昆虫、化石、鉱物まで様々な生き物を採取し、狩猟する様子が『 ビーグル号航海記 』には書かれている。

訪れた土地の計量をしていることから、軍事的な意図もあったのではと、まことしなやかな噂が。
世界の紛争の影にイギリスあり。

いまの世の中では残酷だと感じる描写もある。小鳥であろうが、狩猟し解剖し、なにを食べているのかを観察する様子が書かれている。

もしも、ダーウィンの航海が、もうすこし早ければ、ドードー鳥など絶滅してしまった動物たちが、なにを食べていたのか判明したかもしれないという歴史のIFを考えた。

それほど、自分の眼と耳をつかい動植物や鉱物、地層などをダーウィンは、しっかりと観察している。

南アメリカ大陸の現在でも死亡事故が多発する山にのぼったり、湿地帯を馬にのり横断したり、原住民の襲撃に備えたりと、病弱な老人のイメージはまったくない。

北に昆虫がいると聞けば駆けつけ、南に鳥がいると聞けば馬を疾走させる、東に化石があると聞けば急峻な山すら登坂し、西にサンゴがあると聞けば泳ぐことすらいとわない。

インディージョーンズなみの大冒険をくりひろげている。
ときには、植物や鉱石を採取するために、ビーグル号と別行動をとることもある。
携帯電話もなく、装備も貧弱なあの時代に、よくも船とはぐれることなく最後まで航海をつづけられたな、とハラハラさせられた。

南アメリカ大陸でダーウィンが見かけた飛べないダチョウのような鳥のことが『 ビーグル号航海記 』には書かれている。
南アメリカ大陸にダチョウのような鳥がいたとは知らなかった。

ちなみに、いまその鳥の名前は、ダーウィンレアと呼ばれている。種の起源の着想をえた鳥の名前にもダーウィンの名がつけられている。

アフリカ大陸には、ダチョウがいる。オーストラリア大陸には、エミューがいる。そして、南アメリカ大陸には、ダーウィンレアがいる。

けれども、北半球には、おおきく二本足で走る飛べない鳥はいない。
なぜなのだろうと夢想するのも面白い。
もしかしたら、夢想することで、ダーウィンが種の起源を着想したように、サムシングを着想するかもしれない。

自然描写だけではなく『 ビーグル号航海記 』の魅力のひとつだと感じたことは、文章のあいま、あいまに時々あらわれるイギリス人らしい皮肉のスパイスをきかせたダーウィンの辛辣な言葉。

たとえば、 オーストラリア大陸よ、君はいづれ、南半球の女王になるだろう、だけども、退屈で凡庸な君を好きになることはないだろう、とダーウィンは、はきすてるように書きなぐる。

たしかに、オーストラリア大陸については、あまり書かれていない。
コアラすら登場していなかったと思う。オーストラリア大陸のなにが、そこまで嫌いだったのだろうか。

いっぽう、画家のゴーギャンが愛したタヒチは激賞している。
ヨーロッパのひとたちを惹きつける魅力が、タヒチには昔からあったようだ。

世界一周から帰ってきたダーウィンは、疲れがたまったのか病がちになり、郊外にひきこもり『 ビーグル号航海記 』を書く。

収入のなかったダーウィンをウェストウェッジの叔父が援助し『 ビーグル号航海記 』を書きあげ出版にこぎつける。

その反響は銅鑼を響きならしたようにヨーロッパ大陸の若者たちに影響をあたえた。
『 ビーグル号航海記 』を読んだ若者たちが、故国を飛びだし、ブラジルやオーストラリアなどなど世界中のあちらこちらへ採取の旅へでる。

そのうちの一人は、ダーウィンにあこがれ、何年も異国で採取をつづけ、よし完璧だと採取したものを船につみこみ、帰国する途中に難破し採取したものすべてを失った若者もいる。

けれども、若者は、めげることなく、あらたに採取の旅にでる、そして、ある論文を書きあげる。

このあたりは『 ビーグル号航海記 』に書かれておらず、曖昧な情報だと思っていただきたい。

その彼は、尊敬するダーウィンに頼みこんだ、若者が書きあげた論文をダーウィンの手で発表してもらいたいと。
その論文を読んだダーウィンは、あれ?この論文に賛成するには、進化論のことを書かなければならないのではと思ったそうだ。

ダーウィンも進化論を書いたらヤバイだろうなとは思っていたが、若者の熱意に負けたのか進化論を書いたと言われている。

『 ビーグル号航海記 』を書いたから、『 種の起源 』を書くはめになったのかもしれない。

『 ビーグル号航海記 』は、いろいろと興味深く、昔の風習を知ることができる。
ガラパゴスゾウガメを1日100匹以上殺していた、そして、その肉はうまかったなどなど色々な知識がふえる。
えてして亀の肉は、とにかう美味だといわれている。

そして、簡潔でありながら、しっかりと風景や動植物を描写している文章は、まるでダーウィンといっしょに旅をしているように感じられる。

けれども、万人にオススメできるか本か、と尋ねられると。

島地威雄訳で『 ビーグル号航海記 』上~下を読んだ。この訳が発売されたのは昭和36年。

文体がすこし堅苦しく、ふるめかしい。こむずかしい生物の話が、さらにむずかしいものになっている。

翻訳版もふるいが、『 ビーグル号航海記 』そのものが古い書物だ。
その当時に生きていたダーウィンが観察した動植物などの知識であり、間違った情報が書かれている恐れもある。
ほんまかなと思い読みすすめる必要がある。

つぎに、当時の人であれば、南アメリカ大陸やオーストラリア大陸、タヒチの情報を『 ビーグル号航海記 』で読んだ瞬間、大きく窓をあけたような新鮮な感傷にひたれただろう。
けれども、いまの私たちは、ダーウィンのように現地を訪れることができる。新鮮味にかけるかもしれない。

さらに、5年間の航海の記録をまとめているので文章量がとにかく膨大。
読みきるのに根気がいる。動植物に興味がなければすぐに飽きる。
ぎゃくに考えると、『 ビーグル号航海記 』の文章に長時間ひたることができ、動植物や当時の風習に興味があるのであれば、長いあいだヒマをつぶせると言える。

私は『 ビーグル号航海記 』の原文も読んだ。英語多読の一環として『 ビーグル号航海記 』の原文を読んだ。
英語の知識は身につかなかった。自分のレベルにあった英文を読みましょうね。
日本語で書かれた『 ビーグル号航海記 』ですら難解だったというのに、英文なんて、とてもとても。

最後にダーウィンがのったビーグル号は、薩摩藩にはらいさげられたという噂がある。






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