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3000文字チャレンジ!第101弾!【ラジオ】

8畳ほどの部屋に、白いシーツのダブルサイズベッドが中央におかれており、ベッドの横には木製のサイドテーブルがおかれ、照明と充電中のスマホが置かれているのが見える。

部屋の壁は薄い茶色、床はフローリングになっており、ロボット掃除機が定期的に掃除をしているのか、チリひとつない清潔な床だ。ベッドとサイドテーブルしかない部屋は、ロボット掃除機は掃除しやすいのであろう。

大きめの東側の窓から、柔らかい朝日が部屋の住人の顔を照らす。

部屋の住人の目がゆっくり開く。ベッドのうえで、ひとのび、おおきなアクビをし、ベッドから降り、木目のドアを開け、寝室からでていった。

「おはよう、アレ◯サ」昔は朝一の情報はラジオで仕入れていたが、いまは音声アシスタントに聴くのが早い、今日の天気から、寝ている間におこったニュースをパッと教えてくれる。

昨夜作っておいた、白湯をゆっくりと呑む。食道をとおり、カラッポの胃に白湯が到達する過程を楽しみながら、アレ◯サからの情報を聴き、今日1日の予定を考えていく。

予定を考えなら、食器棚からやや古ぼけてツヤのなくなった銀色のマキネッタをとりだす。マキネッタの下部ボイラーに水をいれ、コーヒー豆を冷蔵庫からとりだし、バスケット(かご)に細引きのイタリアンローストを平らにふわっといれる。

「よし、今日はコーヒー豆をこぼさなかった。いいことがあるぞ」

マキネッタをコンロにおき、火にかけておく。エスプレッソができるまでに身支度を整えておくのが、いつもの生活の流れ。

洗顔し、歯磨きをし、リステリンで口をゆすぐ、リステリンの刺激を口内いっぱいに感じたとき、やっと体が起きたと感じる。化粧水をコットンにとり、顔に染み込ませていく。乳液をつけて保湿も忘れてはいけない。

雉打ちをし、身支度が終わった。ちょうど部屋中がコーヒー豆の濃いモヤっとした香りで満たされている。マキネッタから、信楽焼の薄青いエスプレッソカップに黒いドロっとしたエスプレッソを注ぐ。ソーサーはめんどくさいので使わない派。

リビングに移動し、窓から外の風景を眺め、エスプレッソを飲むのがお気に入りだ。温かい日光を浴びながら、濃いエスプレッソを二口で飲みきる。体内から、ムクムクドロドロと燃えあがるように覚醒してくる。

リビングから見える風景は、日本で一番デカい河川が横断しており、朝日に照らされ水面がキラキラと光っている。羽柴秀吉と明智光秀の古戦場跡を見ることができる。いまやウィスキー工場のほうが有名か、いやそういえば麒麟がきている今は、古戦場の跡の名前のほうが有名か。どちらだろうか?

「アレ◯サ、ラジオNIKKEI第一をかけておくれ」時間は8:00

そろそろ株のトーレドの用意をする時間だ。コーヒーをいれながら、ラジオから株のトレードに必要な情報を仕入れていく。コーヒーにギーとココナッツオイルをいれ、ブレンダーで撹拌する。朝ごはんは食べない派だ。どうも朝ごはんを食べると、一日ドロ~ンと調子が悪い。

コーヒーをもち、PCデスクのまえに座り、PCのスイッチをいれ、株の取引きソフトをたちあげる。ラジオの情報を聴きながら、ゆっくりと9:00になるのを待つ。

9:00になり証券取引所が開く。予想通りだ、日経平均は3日連続下落していたが、今日は大きく日経平均は跳ねあがった。

キーボードを軽やかに叩く、カチャカチャ、大きくエンターキーをばちこ~んと勢いよくと叩きつける。

「一撃、1000万の儲けだ、今日の夜は祝杯だな、ロマネ・コンティ1935年をあけるか」と、ラジオNIKKEI第一を聴きながら考えた。


はい。1500文字ちかい妄想に、お付き合いいただきありがとうございます。【 完 】


実際の生活とおなじ部分は、ラジオNIKKEI第一を聴いているところぐらいだ。

コロナ騒動から、在宅勤務がメインになり、用事のあるときだけ出向く勤務体制にかわった。在宅勤務開始時は、仕事をまったくせずに終わる日がおおく、ケツに火がつくまで仕事をはじめなかった。仕事も雑になり、仕事の提出期日もギリギリ。

これはイカンということで、生活習慣の立て直しをはかった。あ~でもないこ~でもないと色々と工夫した結果、ラジオを時計に使う方法を編み出した。

ラジオNIKKEI第一は、月曜日から金曜日まで、コメンテーターや細かい部分の変化はありますが、大まかな番組構成はほぼ同じ。

ラジオNIKKEI第一がはじまる8:00には椅子に座り、業務をはじめ、証券取引所が休憩する11:30~12:30には一緒に休憩し、ふたたび12:30~17:00まで仕事というライフスタイルに落ちついた。仕事も効率よくこなせるようになった、いや出社してたときよりも効率はあがったのではないかと思う。

在宅勤務時、だらだらしてしまう人は、ラジオを時計がわりにつかうのオススメ。

ラジオを聴きだしたのは、中学3年の受験シーズンだったと思う。なんとなく夜にラジオを聴いてると「恰好いい」「お洒落に見える」「女子と話ができる」という。ヤマしい考えからラジオを聴きだしたと思う。

いろいろな芸能人さんのラジオを聴きましたが、記憶に残っているラジオのパーソナリティは二人。

中島みゆきさんと、福山雅治さんの二人。

ボーっとラジオを聴いていたら、テンションの高いキンキンした声のラジオパーソナリティの声が聴こえてきた。

誰だろうと思ったら、中島みゆきさん。「え?あんなドスの聴いた歌を歌ってる、中島みゆきさん?」

こんなテンション高い声なの!?と、ほんとビックリした記憶。どえらいテンションの高い声だったという記憶しか残っておらず、どんな話をしていたのか、キレいサッパり忘れているな。

福山雅治さんの話は覚えている。え?好青年で爽やか、七人の兄弟がいそうなイケメンも、「Hな話をするんだ」とビックリした。

Hな話を福山雅治さんがすると、爽やかなの!!ほんとHなこと話してるのに、爽やかなの!!いやらしいエロさを感じないの。普通の男が話したら、「うわっキッショ」っと言われそうなことを、福山雅治さんが話すと爽やかなの!!

人間って顔と声だよな。と思ったラジオ。

ラジオといえば、思い出さずにいられないのが、1995年(平成7年)1月17日の早朝。

期末テストの勉強をしようと、早起きをしラジオのスイッチをいれた瞬間、家がギシギシと軋み、グワングワンと横に激しく揺さぶられた。

はじめて経験した大地震。

「机の下に潜れ。」と教えられていますが、ピクリとも動くことはできなかった。ラジオをつけた態勢で立ちつくし、天井からつるされた照明がブランブランと暴れ狂い、すごい勢いで天井に、照明が右へ左へと叩きつけられている風景をずっと見続けていた。

1分ほどのち揺れがとまり、ヨロヨロと部屋の中を見わたす、たいした被害はなかった。もう少し揺れている時間が長ければ、どうなっていただろうとゾッとした。

地震後、夜勤で出勤していた父以外の無事を確認。母がラジオで状況を確認していたのを覚えている。冷静に活動する母は、とても頼もしく見えた。インターネットも身近になかった時代、自然災害の情報はラジオから聴くしかなかった。

父とも連絡がとれ、どうやらたいそう揺れたが、地震の被害は少ないとの情報があり、学校に登校しテストをうけ、帰宅し、テレビに写っている風景に呆然とした。

『東日本大震災』『大阪府北部地震』の二つの地震を経験。

東日本大震災時は、大阪のツインターワーにおり、ツインターワーが折れるんじゃないかと、ヘソの下がフワッとした恐怖に襲われた記憶。津波に原子力にと、日本が終わるのではないかという恐怖を感じた。

大阪府北部地震、はじめての震度6を経験。ズドーンと家が飛びあがったような衝撃を感じた瞬間、窓をあけ、火元をしめ、揺れが収まるまで机の下に潜りこむ、揺れが収まるまでジット待つ。

住んでいる地域では、東日本大震災以上の震度を計測したようだ。その年は記憶にないほどの、風の強い台風にも襲われ、あちこちの家が、ブルーシートで屋根の応急処置をしていた。

これからの日本は異常な自然災害に襲われるのが、普通になってきているように思う。いつ自然災害に襲われるかわからない、地震時、台風時、ラジオは放送されていたと思う。

自然災害時に、パニックになることなく、冷静に行動するのに必要なのは情報。手回し式のラジオを、避難袋のすぐ取り出せる位置にいれている。

備えよ常に。


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