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家族に恵まれなかったと嘆くくらいなら

「一般家庭で普通に起こりうる愛情不足が
現代の社会問題を引き起こしているかもしれない」

僕の師匠が最近言っていた言葉です。



昨今
「自分はADHDやHSP、コミュ障だから~」
だと自称する人が急に増えました。


いや。待て?それは本当に
ADHDやHSPなのでしょうか?


確かに僕自身も3年間
自分の事をずっとADHDだと
思ってました。

空気読むの苦手だし
じっとしてるのも苦手だし
一度話始めたら止まらないし


しかし、いくら今が情報化社会で
目に見えてその存在が可視化されてきたから
といってそんなに急激に増えるのは
少し違和感があります。

一つの仮説としてこういう症状(?)は
「親からの愛情不足によって発生した」
可能性が高いとも思い始めました。
どういうことか、僕の話を例に挙げます。




僕は一番最初に生まれて
生まれてすぐの時はめちゃくちゃ
可愛がってもらっていました。

しかし、2年後双子の妹、そのまた2年後に
末の妹が生まれてから親は妹の育児で
手がいっぱいになりました。

男1人、女3人の兄弟構成
基本放任主義の両親
そんな状況で寂しかったのか
すぐ下の妹をよくいじめてました。



おもちゃを取ったり
「気持ち悪い」と何回も言ったり
隠れて恥ずかしい動画を取ったり
(当時おさがりのガラケーを持ってたので)


そしてそのたびに親に怒られてました。


親は親で僕が何か不安事、心配事があるというと
「また始まった。いつもの気にしぃが出たね。」
と相手にしてもらえずでした。
それでも僕は必死に親の気を引こうとしました。
そんな生活が約18年間続きました。

その結果

「とにかく誰かに相手にしてもらいたい」
「誰かの愛がほしい」

という欲望だけが無駄に成長してしまいました。

そう考えると
一度話始めたら止まらないのも辻褄が合います。
要は他人と距離感を掴むのが苦手なのです。

↑の話に限らず
ADHDやHSP,コミュ障だと思っている症状は
実は幼少期に親と心理的な結びつきが築けず
大人になって出てきた弊害
いわゆる「愛着障害」から発生して生まれる
弊害
なのではないのかと最近思うんです。
(あくまで仮説ですが)

愛着障害は幼い頃に親と死別したり、日常的にDVされたり行き過ぎた放任主義が原因で起きます。

愛着障害について(https://works.litalico.jp/column/mental_disorder/036/

で、本題はここからです。
今回僕が一番言いたいのが

「この事実を踏まえた上であなたはどう生きる?」
という点です。

僕の場合は愛着障害レベルではないにしろ
今まで愛を注がれたことがあまりなく
むしろ人との距離感の取れなさに苛まれることが多く
当たり前のように家族、恋人、友達に愛を注いでもらって
る人を見ると未だに嫉妬してしまいます。

とはいえ今更親のせいにするつもりも
自分の不幸を嘆くだけで終わるつもりもないです。

というかなんなら最近参加した
地球貢献学園で出会ったみんなや
今沖縄で関わってくれてるみんなのお陰で
少しづつではありますが
「愛」を感じています。

自分の行動で
「愛されるようになればいいだけ」
だと気付きました。

育ってきた環境を嘆きたい気持ち
社会に八つ当たりしたい気持ち

分かります。人によっては本当に辛いでしょうし
その気持ち自体はあってもいいものだと思います。


だけど、だからこそ動くべきだと思います。
格差が確かに存在するからこそ
それを本気で是正しようと取り組んでいる人たちも
またこの世の中にはたくさんいます。
そういう人たちと行動を共にすればいいんです。


僕もまだまだ努力が足りないですが
こうして文を書いたり、勉強をする事によって
もっといろんな人の声を受け取り
報われる人たちを一人でも増やしたいです。


さて、あなたはどうしますか?

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