Official髭男dism Editorialについて語るだけ

Official髭男dismは、2012年に山陰地方で結成された今や邦楽リスナーでその名を知らない者はいないであろう国民的バンドだ。

私は通常、好きな曲はあってもアーティストを好きになることはない。それは人間関係と同じようなもので、”この人の優しいところが好き”、”この人と話すのが楽しくて好き”といったように要素を好きになることはあれど、”その人自身を好き”というのは盲目的に全てを肯定しているようでなにか違和感を感じる。

同様に、私はかつて”このアーティストが好き”という感覚は根拠のない妄信のように感じていたのだが、Official髭男dismと出逢ったことで初めてアーティストを好きになるという感覚を理解することができた。
彼らの楽曲は例外なく全てが素晴らしく、それを作り出す彼らの人柄にもとても心惹かれるものがある。
そんな彼らの数あるアルバムの中でも一際完成度の高い名盤中の名盤「Editorial」を今回のテーマに取り上げようと思う。

1曲目は、曲名にアルバム名を冠した”Editorial”。
アルバムを小説に例えるとするならば、この曲は作家である藤原聡のまえがきだ。

Editorialとは「論説の」「編集上の」などの意味があるが、私は音楽とはまさしく自由な論説の場であると考えているため、このタイトルを見たときには深い納得を得た。
しかし、歌詞の内容を要約すると「伝えたいが語れないものを形にした」とあり、自分の浅はかさを思い知らされることになった。
論説がしたいだけならばいくらでも語ればいいのだ。言葉にできない思いだからこそ音楽として奏でる必要があるのだと、音楽をつくる上でとても大切なことを気付かされた。

そして、この曲は驚くことにボーカル藤原聡の声だけで構成されており、Vocoderやizotope社のVocal Synthのような、歌声を音色化しハーモニーを作り出すことのできるたぐいのもので作られている。
歌詞を一番に伝えたい楽曲の表現方法として、ポエトリーともアカペラともまた違う、斬新な第三の手段をここに見た。

そんな最高のまえがきから始まり、続く曲は”アポトーシス”。
この大サブスク時代に6:30という攻めに攻めた長尺の楽曲であるが、一度聴けば6:30の一秒たりとも欠かすことの出来ない、壮大なスケールの楽曲であるとわかる。

このアルバムのリリースは2021年であり、制作はコロナ禍真っ只中であったと予想できる。
そこで失った数々のもの、感じた様々な侘しさや無力さ。人それぞれ何かしらの形で命に対して向き合わざるを得なかった数年間だったが、彼らの出した答えはあまりにも美しかった。

アポトーシスは細胞の自然死を指す言葉だ。その名のとおり、この曲のテーマは”生命の死”である。
そう聞くと一見とても暗く悲しいばかりの曲であるかのように思えるが、私が思うにこの曲の芯は”愛”だ。
命あるもの、訪れる最期のときから逃げることはできず、それと対峙することは恐ろしくとても勇気のいることだ。しかし、日々の尊さや愛する人たちとの時間の価値は、心構えはできずともそれと真摯に向き合おうとすることでしか真に理解できないのではないかと考えさせられる。

この曲はそんな力強さや生命あるものへの愛情深さをこの上なく流麗な形で表現している。
リバーブの空気感のメリハリやセクションごとの音の緩急がはっきりしており、長尺でも飽きさせない構成がなされている。また、時計の針のような音や鐘の音など、歌詞と直結するような音色を多く使うことで作品としてのまとまりが強く、大きな訴求力を生んでいる。
曲のエンディングではピアノと歌1本だけとなり、長い余韻のあとサスティーンペダルから足を離す音で楽曲を終える。そのどこか暖かな哀愁こそがきっと作曲家である藤原聡の死への捉え方そのものなのだと思う。
何度も聴いたこの作品だが、私は未だ涙無しで聴き終えることができた試しがない。

そんな余韻を打ち破るようにハツラツと鳴り響くブラスの音は、恋愛ドラマ”恋は続くよどこまでも”の主題歌ともなった”I LOVE…”だ。

“アポトーシス”が終わりとその後、すなわち熟成され死後も続くような愛を表しているとしたら、”I LOVE…”は愛の始まりや恋の芽生えを表現した曲だと思う。

この曲はBメロとサビの境目が曖昧なところが面白いと感じる。1番でいうと、”高まる愛の中”の箇所から伴奏の雰囲気がガラッと変わり落ち着いた感じになるため、聞き手は「Bメロに入った」と認識する。そして、その後高らかに歌い上げられる”イレギュラー”の一言でまたテンションが変わり、「サビだ!」と思わされるのだが、なんと先ほどBメロと認識した箇所と同じメロディーが繰り返される。
この”Bメロ兼サビ”のような役割はあまり他に類を見ず、いつの間にか相手のことを好きになっているような不思議な感覚を表現しているようにも捉えられる。

次の曲はドラムの松浦匡希が作曲を務めた”フィラメント”。
松浦匡希はバンドのムードメーカーのような存在でありメンバー皆から慕われている人格者なのだが、そんな彼の性格を表したかのようなおおらかさがこの曲にはある。
前に進む強さとひたむきさを表した前向きな曲だが決して説教臭くはない歌詞と、シンプルでノリやすいビート、爽やかなアコースティックギターのカッティング、全体的に深めのリバーブなどの音作りが壮大な世界観を作り上げている。

5曲目は朝番組めざましテレビのテーマソング”HELLO”。
朝聞いたら元気をもらえる、今日一日頑張るぞと前向きになれるような曲だが、ただ前向きなだけではなく、人の弱さや日々の苦労などにも寄り添った作品となっているのがとても彼ららしいと感じる。

続くのは大人気アニメ”東京卍リベンジャーズ”の主題歌となった”Cry Baby”。言わずと知れた名作であり問題作だ。
大胆な転調の多用の仕方はもはや説明するまでもなく有名だが、個人的に意外だったのはこの曲がシャッフルビートで作られている点で、それがこのどこかスカした雰囲気を作り上げているのだと思う。

7曲目はアルバム書き下ろし曲の”Shower”。
アコースティックギターと歌のみの入りから始まるこの曲はライブでは藤原聡の弾き語りから始まり、キーボードボーカルではない新たな一面を見せられ驚いた。
歌詞は子どもの頃持っていた純粋さに思いを馳せつつも、最終的には今ある幸せに目を向けるような内容になっている。シンプルな楽器編成でありながらもドラマチックな構成がなされており、大人な淡々とした雰囲気と、子どものようでいたい激情の部分とを表現しているように感じる。
この曲で特に面白いのが2Bと大サビの部分の音作りで、2Bはまるで歌詞の通り”6畳のワンルーム”でスマホで録音したかのようなミックスがなされており、世界観に入り込めるような音作りとなっている。大サビではそれまでの平穏な雰囲気から一転していきなり演奏内容が激しくなるのだが、それに合わせてボーカルにラジオのようなエフェクトがかかったりリバーブとディレイがものすごく深くなったりしており、それが演奏とよく馴染み独特でかっこよく仕上がっている。

続く8曲目は”みどりの雨避け”。
普段メインで楽曲を制作しているのはボーカルの藤原聡だが、実はOfficial髭男dismのメンバーは全員作曲ができることはあまり知られていないように思う。
この「Editorial」というアルバムにはメンバーそれぞれが作曲した楽曲が含まれており、ドラムの松浦匡希が作曲したのは前述の”フィラメント”、ギターの小笹大輔が作曲したのは11曲目に登場する”Bedroom talk”、そしてベースの楢崎誠が作曲したのがこの”みどりの雨避け”である。

これまで楢崎誠が作曲を務めたのは”旅は道連れ”、”みどりの雨避け”、”Choral A”の3曲だが、彼の作風はいつも明るくて暖かく、それでいてメロディーがキャッチーで、いずれも隠れた名曲だと言える。

今回の”みどりの雨除け”は地元の暖かさのようなものがテーマになっており、聞いているだけで穏やかな田園風景が目に浮かぶような、まるで小説のような曲だと思っている。
ベーシストである楢崎誠だが、いずれの曲もベースがメインに添えられる構成ではなく、この”みどりの雨避け”もアコースティックギター、ストリングス、アコーディオンなどの楽器が主役となっているのが面白い点である。
また、楢崎誠の曲の共通点として、SEの使い方が挙げられる。この曲も電車の音や紙にペンを走らせる音などが効果的に使われており、場面を想像させる一助となっている。

次曲はカルピスウォーターのCMソングともなった”パラボラ”。繊細な比喩表現を用いながら新しい世界への不安と期待を描いた歌詞を、軽快で爽やかなサウンドにのせた楽曲である。
この曲からは急に売れて生活が一変したことへの戸惑いが垣間見えるが、未来へのポジティブなイメージを感じた。

しかし、続く”ペンディング・マシーン”で私は藤原聡の精神状態がかなり心配になった。

曲名の”ペンディング・マシーン”とは、自動販売機を意味するベンディングマシーンと、保留の、未解決の、という意味のペンディング(pending)を掛け合わせた言葉だと推測される。

曲調は明るく、エレクトロ系の音が中心となった四つ打ちのノリの良い曲だ。
何度も登場する耳に残るリフが特徴的で、アナログ系のシンセサイザーの音色が藤原聡らしいと感じる。
バンドでありながら生音だけにとらわれずこういった打ち込み系の楽曲も作れる柔軟さがOfficial髭男dismの魅力の一つだと思う。

楽しくポップな楽曲である反面、この曲は藤原聡の切実な叫びでもあると深く感じている。
藤原聡は売れてからというもの、SNSから明らかに距離をおいている。寂しくないと言えば嘘になるが、見るからに繊細で感受性の豊かな彼のことだからきっと疲れてしまったのだろうと想像していたところに突きつけられた、明晰なアンサーがこの曲だ。

Aメロの入りから投じられる”Wi-Fi環境がないどこかへ行きたい”という歌詞。ファンとしては「そっかぁ...」と言わざるを得ない。
その後も小気味良く巧みに韻を踏みながら、この大ソーシャルメディア社会への恨みごとをシニカルに、それでいてポップに歌い続けていく。ラスサビ前のキメ後に挟まれるドラム松浦匡希の笑い声も特徴的で、こんな感じで気楽に生きたいという藤原聡の切なる思いを感じる。
現代人なら誰もが多少なりとも共感する内容であり、もっと多くの人に聴かれるべき楽曲だと思っている。

続く11曲目”Bedroom Talk”は前述の通りギター小笹大輔の作った楽曲である。
Chillな雰囲気で、タイトル通り寝る前に聞きたいようなおしゃれでかっこよく、それでいて安心感のある楽曲だ。

12曲目”Laughter”は”コンフィデンスマンJP”の映画の主題歌だが、この曲はデビュー前の藤原聡の心情を表した曲でもある。
大手銀行で働いていた藤原聡が、音楽という不安定な道を選ぶ際の周りや自分との葛藤を経て、”自分自身に勝利を告げるための歌”として作った曲である。
ここで注目したいのが、彼は反対した周囲の人たちを悪く言うことは決してせず、むしろ”どうもありがとう”と感謝している点である。
自分が同じ立場で曲を書くとしたら、”反対してた奴ら見てみろ!どうだ売れたぞ!”と鼻高々になってしまいそうなものだが、彼はそんなことはしない。勝利を告げる相手はかつての、そして今の自分自身であり、他人ではない。
彼らのそんなところがきっとこのバンドがここまで多くの人に支持され、愛されている理由の一端を担っているのだと思う。
また、この曲はコード進行にも面白い工夫がある。
イントロでは5thの音が一音ずつ上がっていく進行、サビではルートが半音ずつ下がっていく進行となっており、対比構造が生まれている。

13曲目は”Universe”。映画ドラえもんの主題歌として書き下ろされた曲だ。
この曲はドラえもんという作品全体の一解釈だと思っているのだが、あまりにも優しく暖かく、キャラクターにとても寄り添った内容であり、私が藤子・F・不二雄だとしたら感動で泣いているとすら思う。

そしていよいよトリを飾るのは”Lost In My Room”。
冒頭”Editorial”をまえがきだと説明したが、これはまさしくあとがき兼エピローグである。
様々な世界を見せてくれたアルバムを締めくくるこの曲の内容は、要約すると”全然良い曲が作れない”と嘆く歌だ。そんな悲痛な叫びをマリイアキャリーさながらの超高音のメロディーとともに歌い上げている。
こんな大名盤を仕上げておきながら一体何を言っているんだという話だが、今をときめく売れっ子として注目されている中でアルバムを出すという重圧や責任感は計り知れず、そんな多大なる苦悩のもと生まれたのがこの最高のアルバムであると解釈できる。
また、この曲の最後は繰り返されるピアノのフレーズがフェードアウトしていっており、終わりのなさを表現している。
そして、藤原聡ほどの鬼才で、こんなにも素晴らしい曲ばかりを作っている存在であっても同じようにスランプや曲作りの際に大きな悩みがついて回っているのだなと、一人の音楽を作る人間として安心したりもした。

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