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会社を辞めてヨーロッパで数学のPh.D.を取った話①(海外留学)

このnoteを書いているちょうど1年ほど前に、Ph.D. defenseをクリアし数学の博士号をフランスの大学から授与されました。
初めて渡仏したのは2018年の10月頃だったので結局、博士課程を終えるまでには4年弱かかったことになります。
博士課程をしている最中には、コロナで研究が一時中止になったり、予測できなかったことが色々ありました。
いつの日か、そういう話をまとめれたら面白いかもなあと思い今日まできたのですが、ようやく文章を書く気になったので、気の向くままに書き記していこうと思っています。

また、これから海外Ph.D.の留学を考えている人の参考に少しでもなったらいいなと思っているので、覚えている限りのことは書こうかなと思っています。
さらに自分の身の上話にはなりますが、修士を卒業してから少しの間、企業で働いていたということもあり、社会人から再びアカデミアに、しかも留学で戻るというまあまあ珍しいパターンできているので、そこも参考になればいいかなと思ってnoteを書こうと思います(運が良かっただけなので、参考になるかは微妙ですが、、、)。

(留学の話のみが知りたい方は、次の章を飛ばしてください)

会社を辞めてアカデミアへ

さて、それでは話を企業で働いてたところから始めます。
私は修士を卒業してからぼんやりと企業で働いてたわけですが、心の中では博士課程まで研究を継続したかったかも、、、と少し後悔しながら働いていました。

大学院に進学した方ならわかるかもしれませんが、博士課程まで進学するというのは、経済的もしくは心理的ハードルが高くなかなか進学を決断することができません(少なくとも自分はそうでした)。
特に心理的ハードルでいえば、博士卒業後の進路の狭さを想像したり、周りと比較して自分の能力のなさに悩んだりするかと思います。
なのでそのような理由もあり、私も例にならって就職したわけですが、やはり後ろ髪引かれる思い、、、仕事にもあまり集中できない日々、、、そしてついに、これじゃ埒があかないと思い、仕方ねえ!アカデミアに戻ろう!と決断したのでした。(かなり省略してはいます)

しかし、じゃあ大学に戻るとして、どうやって戻ったらいいのでしょうか?
当たり前ですが、突然なんの理由もなく海外の(もしくは国内の)大学からPh.D.をやりませんか?という連絡がくるわけではありません。
まれに、今までの縁からそのように誘ってもらえる人もいるみたいですが、私の場合は一切そのようなラッキーはありませんでした。

しかも私は、修士では素粒子周りの物理をやっていたのですが、この時は確率論をベースとして統計力学がやりたいなと思っていて、近くとも異なる分野で研究がしたいと個人的に考えていました。(数学と物理はある程度分野が近いとは言うと思いますが、実際はなかなか壁がある気がしています。)従って、アカデミアに戻るための今までのコネもないですし、どのように切り開いていけばいいか悩んでいたことをうっすらと覚えています。
特にツテもなく、どうしたらいいのかと考えながら、色々な研究室のサイトや社会人博士のブログを眺める日々でした。
--業務中にも眺めていたりしたので、これは真似してはいけません()--

ということで、やると決めたからには立ち止まっていても仕方がありません。とりあえず行動しないことには何も降ってはこないのです。
まず初めに私は国内の興味のあるいくつかの研究室に連絡をしました。
メールで、博士課程に新しく入れるのは厳しいと断られることもありましたが、何人かの方とは、直接研究室にお伺いをしてお話をさせてもらいました。

※ちなみに新規の受け入れを断るというのは、学生を責任持って育てないといけないという責任感の裏返しでもあるのかなと思っています。
博士論文を書かないと(完成させないと)いけないというのは、教員にとってもプレッシャーなので、誰でもいいよ!というわけにはいかないと思います。
希望する教員と顔見知りであれば、もしかしたらある程度可能性はあるのかもしれません。

教員の方たちとお話をさせてもらい、いくつか改めてわかったことがあります。
①そもそも日本の研究室は博士から学生を取る文化があまりない。つまり修士からなら受け入れいいですよ、となる。
②卒業後を考えると、どこで卒業したかが重要になってくる。
③一度卒業したことで経済的に厳しいことが増えてくる。(十分な貯金があれば話は別、DC1などにも応募していない状況で学費等の工面は確実に出てくる。)
④上記のことなどで制限されるため、博士から始めることに拘ると選択肢が少ない。
⑤社会人博士は実務寄りではない場合、現実的ではない。

修士を既に卒業した身としては、改めてまた修士から始めてみない?と言われると、ストレートに、はい!とは言えないものがありました。ただでさえ博士卒業が同年代から遅れるのに、さらに2年プラスか、、、と、、、
そこで色々と調べてるうちに海外なら給料も出るし、博士から始められるしいいのではないか?と思い、徐々に海外路線にシフトしていくことになりました。
※今となっては修士から再び始めるというのも、悪くなかった気はしています。悩んでる時に20代後半辺りの年齢だと、少し同期から遅れてる感を感じてしまい、焦りにつながるのかなあなんて思っています。

(会社を辞めてアカデミアへとは書きましたが、ここで終わるとただの無職の話になっていますね、、、)

海外Ph.D.へ


さて、それでは海外Ph.D.のポジションをどうやってゲットするかという話ですが、だいたい考えられるのは以下の3つかなとおもいます。
①修士課程で築いたネットワークを用いて、知り合いの研究者に連絡を取る
②Ph.D.の公募がメーリングリストや検索サイトに定期的に出ているので、それに応募する。(参考サイトを以下に載せておきます)
Mathjob

Euraxess (検索画面でResearcher Profile-R1を選択すれば良いかと思います)

イギリスのポジション

③自分の興味がある研究を行っている研究者にコンタクトを取ってみる。

だいたいこの辺りが考えられるかなと思います。一番可能性が高いのは①だと個人的には思います。それに反して、③は運頼みになってきます。
そして私は③の、とりあえずコンタクトを取ってみるという行動に出るのでした。

教員の立場にたって考えてみれば、極東の日本に住む得体の知れないアジア人から謎の「あなたと研究がしたい!」メールが届くわけです。
そんなメールは何通もきてるでしょうし、真面目に取り合わないことも多くあるかと思います。
でも逆に聞いてみなければ可能性は0%です。もしメールを送る際には、英語でCVを作成し、少しでも自分が何者かを明らかにすることを心がけましょう。(という気持ちでメールを送っていました。)

仕事から帰っては、メールを書き、返事がきたら落胆し、、、を繰り返して何人目か、、、今となっては私のPh.D.の指導教官となった人から奇跡のような連絡が返ってきました。

Dear ~,
Thank you for your message.
中略 (まず科研費を持っているか?と聞かれました。)
I’m actually in Kyoto right now until ~.
If by any chance you happen to be around we could meet and talk a little about what you expect and what I could offer before we go further.

メールを見た瞬間、うっそだろ!?と思いました。私がメールを送った時期にたまたま京都にいたらしく具体的な話はまだわからないが、もし良かったら一回話をしてみないか?と提案してくれました。
私はその時、東京に住んでいたのですがこれは行くしかないと思い二つ返事で明日行きます!と言いました。
そして次の日、京都に朝イチで向かうことになるのでした。(ちょうどその日は金曜日で会社の同僚と夜ご飯を食べていました。)

翌日、新幹線に乗ったはいいものの、英語でどうやって話をしたらいいのだろうか、修士論文の内容はしっかりと説明できるだろうかなどの不安でいっぱいでした。
いざ対面してみるとまさかの日本語少し話せますと言われてさらにびっくりはしたのですが、最終的には英語でたどたどしくも色々と説明した記憶があります。
そして、いまだに何故かはよくわかってないのですが、科研費をとれたら受け入れてもいいよ!科研費も一緒に探そう!と言われ、指導教官探しがいきなり終了したのでした。
※このような千載一遇のチャンスを逃さないためにも、あらかじめ少しでも英会話などを勉強しておくのは大事かなと思いました。いきなり打席がまわってくるので、あらかじめ準備をしておかないとチャンスが逃げていってしまうことになります。
英語の勉強に関しては、ネットで会話できる外国人の友達をつくってみてもよし、オンライン英会話やってもよし、英会話に通ってもよしです。

ちなみにこの話は7月の出来事で、最終的に科研費を獲得したのが次の年の5月でした。
通常、公募は採択の3ヶ月〜半年程度前に募集開始になるかと思いますので、そのあたりも計画に入れて動ければいいかなと思います。
もちろんいきなり決まるパターンもあるかと思いますので、それは例外として、公募を通すとだいたい上記のようなスケジュールになるかなと思います。

次に科研費獲得についてです。一番大事なのがこの科研費のパートなのですが、私は以下のツイートにあるように、FSMPというところで雇ってもらってました。

ここに受かったのも、今でも運が良かったなとしか思わないのですが(指導教官が協力してくれたおかげです)、世界中に色んな科研費のプログラムがあるので色々応募してみるのもありです。
科研費をとってしまえばこちらのもので、いろいろな研究室が話を聞いてくれるようになるかと思います。(DC1,DC2もその一種ですよね)
これも先ほど載せた"Euraxess"に掲載されることが多いので(Job offerとして)、興味のある方はチェックしてみてください。

ちなみに科研費獲得の際には研究計画書を書かないといけないわけですが、これは指導教官としっかり相談するべきだと思います。
指導教官はいくつかアイデアを持っていると思いますので、そのアイデアと自分が希望する内容をうまく擦り合わして研究計画書を作成してみましょう。
さらに私が採択されたプログラムでは、1次審査が研究計画書を含めた書類審査、2次審査が5分発表+10分質疑応答の面接でした。
ほとんどのプログラムでは英語での発表があると思いますので、やはり英語を勉強しておいて損はないです。

そして色々ありましたが、なんとかお金の準備が整い無事にフランスへいけることになりました。
今となってはメールを送って一点突破で海外に渡ったのは奇跡としかいいようがないのですが、不思議と色々うまく進んだなあと改めて思います。
ビザ申請等については、国ごとに違うと思いますので、また需要があれば書こうかなと思います(あまり覚えてはないのですが、、、)。

ちなみに海を渡ったのはいいのですが、フランス語は全く話せずさらには英語もそんなに話せないということで苦労したこともたくさんありました。
それでも、私の場合は海外でPh.D.に挑戦できて良かったと思っています。
あの時メールを送ることを諦めていれば今の自分はないと思うので、人生何が起こるかわからんなーと、毎度思います。

研究をどうやって進めたのか、また博士論文をどのようにして書いていったか、なども別の機会に書ければいいかなと思っています。
ここまで読んでいただいた方はありがとうございました!

*随時、加筆修正をしていきますので変なところがあれば教えていただけると幸いです。


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