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多発性骨髄腫という壁

2019年の秋、4度目の救急病棟への訪問で、やっと夫の病名が、多発性骨髄腫という稀な血液ガンであることが分かった。レントゲンの結果、ぼろぼろになった腰椎が一つ外れていた事が分かった。それで、初めてなぜ彼が脂汗を流し、立つのもやっとの痛みを抱えていたのかが分かった。

私は27年前、留学生としてカナダのカルガリーにやって来た。カレッジでソーシャルワークを勉強していた時に出会ったカナダ人の彼と結婚して、カルガリーに住む事になり、もはや20年以上が過ぎた。

夫は生真面目で、責任感が強く、私と違って働き者だ。何年も前にどこかで、「鮫はいつも泳いでないと死んじゃうんだって。」と聞いたことがあるけれど、夫はまさにそんな性格である。そして、滅多に弱音をはかず、人を笑わせたり和ませるのが得意だ。そんな彼が、肺にも腫瘍ができて、激やせしてしまい、完治しない難病だと告知された。

カナダはユニバーサルヘルスケアといって、最低限の医療は国民に保証するという制度がある。だから、救命のための医療費は州の医療保険や社会保険、福祉などでまかなわれていて、手術代や入院費を請求される事はない。その代わり、緊急でない治療は後回しになりやすいので、お金のある人はアメリカに行ったりするわけだ。もっとも、コロナ感染の前までの話だけれども。

カルガリー市の総合大学病院には癌センターがあり、いろいろな種類の癌の専門家がいるそうだ。夫はすぐに、血液ガン専門病棟に移され抗がん剤治療を受けた。2週間の入院のあとは外来で抗がん剤治療を4ヶ月弱受けた。その間、骨髄専門チームの医師と看護士、ソーシャルワーカーと歯科医師、病院の薬剤師が連携してケアに務めてくれた。介護をしていた私も含めて、これからの治療方針や、幹細胞移植に向けての準備などについてミーティングが行われた。ひどく落胆していた夫に、一緒に頑張りましょうとサポートしてくれた医療チームは一筋の光だった。

夫は抗がん剤治療だけでなく、血液検査や弱ってしまった脊椎を強化する薬の投与、そして癌患者のカウンセリングなどで週に2、3度通院しなければならなかった。とても運転できる状態ではない彼の送り迎え、子供達の送り迎え、栄養士に勧められた食事の支度、買い出しと家事で毎日が過ぎていき、家族に病人がいるという事は大変なのだと思い知らされた。私が中学生の頃、父方と母方両方の祖母が入院して、母が戦々恐々としていたのを思い出す。

「カナダの人口の4人に一人は、癌患者かもしくは家族が癌にかかっています。」と、癌センターでもらったパンフレットに書いてあった。残念ながら、癌というのはそれほど珍しい病気ではなく、多くの人が治療を受けたり、その家族が影響を受けたりしているということだ。

しかし、癌が個人に精神的、身体的、社会的、そして経済的に与える影響は一人一人全く違う。独り身か、家族がいるのか、子供なのか、若い人なのか、お年寄りなのかによっても経験は違ってくるはずだ。それから癌の種類、進行や転移の段階によっても異なる。癌患者だからといって、ひとくくりにしてはいけないのだと思う。

夫が診断された 多発性骨髄腫という病気は、分かっているデータでは、先進国で10万人中4人、つまり25000人中一人の発症率で、だから希少な癌ということになる。そして、完治する方法はまだ見つかっていない。夫が不治の病と分かると、なんだか私たち家族と周囲の人々との間に見えない壁ができたように思えた。5年後、10年後の未来なんて想像できなくなってしまったし、元気づけるつもりで「いつかヨーロッパに行ってみたいね。」などと言おうものなら、夫が寂しい顔をした。

子供達の送り迎えを手伝ってくれたり、差し入れをしてくれた友人や知人の存在は非常にありがたかった。腫れ物に触れるように扱われるより、普通に接してもらえる方が気持ちは楽だったけれど、日常の何もかもが当たり前ではなくなってしまった私は、明らかに以前と価値観やものの見方が変わり、時折ガラス窓の向こうで話している友人達を傍観しているような感覚に陥った。

どうしても誰かに辛い気持ちを打ち明けたくて、病院の近くにある、Wellspringsという、がん患者とその家族を支える非営利団体のオフィスに寄ってみた。オフィスといっても、普通の家をもっと大きくしたような3階建ての建物で、入口の隣には心地のよさそうなリビングルームと書斎がある。受付の人は暖かく迎え入れてくれ、話を聞いてくれた。話しているうちに涙が溢れてきてしまったけれど、スタッフは「いいですよ。何でも話して下さい。辛かったんですねえ。」と親身になってくれた。その後建物の中を案内され、様々なプログラムがあることを説明された。カウンセリングや、アートプログラム、ヨガ教室や料理教室などが、がん患者とその家族に無料で開かれているという。

私が興味を持ったのは、料理教室と介護者のためのサポートグループだった。料理教室は、栄養士ががん患者のためにバランスを考えて用意した献立を参加者皆で作って食べるというもので、私が行った日はコロナ感染が始まる前だったので、30人程が参加していた。その参加者全員が、癌の治療中か治療した経験のある人、もしくは介護者である。年齢も人種も様々だけれど、お互いに何も説明しなくても良い安らぎや、いたわりあう優しさを感じた。サポートグループといって、介護者の集いに出かけていったら、10人程のメンバーで、やはり年齢も人種もばらばらであった。それぞれに自己紹介した後、司会のカウンセラーが、介護者が燃え尽きてしまわない事、そのためのセルフケアがいかに大切か、という話をした。介護する人が心も体も疲れ果ててしまったら、病人のケアはできない。だから規則的に、ウオーキングやヨガ、読書や瞑想、友達と出かけたりお茶したり、なんだっていいのだが、気分転換をするのはとても大切な事で、罪悪感を持ってはいけないと言っていた。メンバーがお互いの事を打ち明けていくうちに、お互いの事を思って皆で泣いた。夫が患ってしまった多発性骨髄腫という病気が、私の周りに見えない壁を築いてしまったけれど、そのサポートグループで初めて会った人達と、がんと生きる苦しみ、あるいはがん患者を支えることの難しさを分かち合い、一緒に涙を流す事で、緩やかに溶けていくような気がした。



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