52歳で0歳になった夫

人生をゼロからやり直せたら、あるいはある程度遡ってそこから再出発できたら...誰でも一度や二度はそう思う事がないだろうか。私達夫婦の生活も順風満帆とは言えなかったけれど、だからと言って全てリセットしたかった訳じゃない。前へしか進めないのだから、前向きにやってきたつもりだった。頑張り屋で責任感の強い夫は仕事もボランティアも一所懸命やってきたし、育児も一緒にやってきた。その彼が、リストラで職を失う寸前に癌になった。その前の年に、私の弟はくも膜下で、44歳で急逝している。八方塞がりというか、アンラッキーな事がよくもこんなに続くものだ。

2019年の秋に、血液ガンの一種である多発性骨髄腫であると診断された夫は、4ヶ月に渡る抗がん剤治療を受けた後、2020年、3月の半ばに幹細胞移植を受けることになった。抗がん剤治療が進むに連れて、夫の頭髪や体毛が抜けていき、かぶっていた毛糸の帽子に、よく抜け毛がついていた。2月の半ばには彼の食欲も味覚もかなり戻っていて、幹細胞移植に備えるため体力をつけようと、夫は今までの分を取り戻すように食べた。幹細胞移植というのは、健康な血液細胞を抽出して体外で増殖させ、それをまた本人の体内に戻すという治療法で、これが行われる前に、抗がん剤で徹底的にガン細胞を破壊して抑制させる。ただ、抗がん剤の徹底治療は諸刃の刃にもなってしまう。なぜなら、私たちにとって必要な白血球の量も減らしてしまうので、免疫が低下してしまうからだ。それでも、私たちはその治療に賭けた。がんセンターの専門医やそのチームが、何度も行程やケアについてミーティングをしてくれたのが心強かった。診療に赴く度、がんセンターのスタッフはフレンドリーで、いくつかある待合室に、ボランティアがジュースや紅茶、クッキーなどをのせたカートを押してまわってきて、無料で提供していた。辛い症状や重い心を抱えて待っている患者やその家族にとって、その心遣いはとてもありがたかった。

いよいよ夫の幹細胞移植のための入院予定日が間近に迫った2020年3月15日、私たちの住むカナダはアルバータ州、カルガリー市でコロナ感染による緊急事態宣言が発令され、全ての学校が一時閉鎖になった。アルバータ州の病院は、緊急でない手術や検査の延期と、患者の面会は最低限か、病棟によっては 面会謝絶となった。奇しくも、全く同じタイミングで夫と同じ病気になったアメリカ在住の日本人男性と、友人を介して知り合い、SNSで励ましあっていたのだが、同じように幹細胞移植に向けて治療を受けてきた彼の移植は、コロナ禍のため延期になってしまった。「ここまでやってきて、ほぼ免疫ゼロになっているのに、どうなるんだろう。」夫と二人で不安な気持ちを抱えていたら、専門医とナースが言った。「ここまできたんだから、やりましょう!」

一人で、 面会謝絶の病棟に入院した夫は、3月19日に幹細胞移植を受けた。免疫ゼロ、そしてこれまで受けた予防注射や、かかった病気によって残った抗体は全て失われた。だから医師たちは、幹細胞移植を施す日は、その患者の第2の誕生日と呼ぶ。まっさらな、生まれてきた時の状態に戻るという意味だ。その年の1月に52歳の誕生日を迎えた夫は、3月に0歳になった。

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