見出し画像

まだ続く公園廃止問題

長野市にある「青木島遊園地」について、長野市が「子供の声がうるさい」という苦情がもとで廃止することを発表してから数日経って、様々な意見が出てきました。クレームを付けた隣人を叩く風潮が非常に強い中、隣人を擁護する著名人も出てきまして、賛否両輪渦巻く状況になってきました。


■炎上から擁護への変化

まず個人的な意見としては、クレームを入れ続けた隣人を無条件に叩くことはできないこと、そしてそれぞれ相手の立場に立って物事を考えることが重要だという点を挙げておきます。

確かに字面だけ見ればクレームに屈した長野市という風に読み取れます。しかし、当初の報道をいくつか眺めているとクレームを入れた隣人側の言い分が軽く扱われているように感じました。ざっとまとめると、

・多くの子供の遊ぶ声
・迎えの車のエンジン音
・ボールの宅地への飛び込み
・宅地内の植栽の踏み荒らし
・夜間は花火の音
・公園ができる前にひと言もなかった
・18年間我慢した

こんな感じですが、これが全部一つの記事に載っているわけじゃなく、ここから2つ3つを抜粋して記事にしているものが多かったのです。そんな記事なら炎上して当然だと思いますし、こうした理由が全部載っていて、かつ住民の言い分まで取材していたら炎上までは行かなったと思います。

この報道が流れてから1~2日くらいまでに出たニュースでは、隣人を非難するコメントや、ワイドショーで苦言を呈するコメンテーター、SNSで油を注ぐ著名人などが目立ちましたが、それ以降では隣人を擁護するコメントをする人や、擁護とまではいかないでも理解を示すコメンテーターも出てきたました。これは隣人への取材が行われ、それが報道された以降に変化したように思います。


■隣人側の言い分

隣人への取材が行われた結果、隣人の言い分が明らかになってきました。以下、引用です。


テレ朝、JNN

「公園ができる時から事前に説明はなく、児童館や保育園へのお願いも担当者が変わると引き継がれなかった。私たちだって通りが一本違えば公園はあった方がいいという立場。両隣の家は、日中は留守にしている。日中の状況を知っているのは私たちだけ。1軒の苦情と言われるのはつらい」

「公園に遊びに来る親子には何も思っていない。微笑ましく思っているが、毎日家の前で、児童センターの子どもが40人から50人で遊ぶ状況を想像してほしい。」

「隣接する児童センターの職員が子どもを遊ばせる際、拡声器を使って指示していたのがうるさくて、やめて下さいと言った。地域に公園がある方が良いというのはよく分かる。しかし、定年して家にいるようになると、その騒音が毎日続くことを知った。18年間妻はそれをずっと我慢してきた。」

妻「雨の日はホッとする」

FNN
「18年間毎日、私たちも我慢してきた。私たちは廃止にしてくださいとは言っていない。児童センターが決まった時間に外に出て拡声器とか使って、みんなを遊ばせているそういったことに対して言った。使い方をちゃんと考えてくださいといった。廃止決定はびっくりした」

長野朝日放送
「クレームを言い続けてきたわけでは無く、提案や要望を市や児童館にしてきて、廃止してほしいとは言っていない。普通に遊ぶことについては一切苦情は言っていない。地域に公園があれば良いということは良く分かるが、騒音が毎日続くことは立場にならないとわからない」

今回の状況をまとめると、

・多くの子供の遊ぶ声
・迎えの車のエンジン音
・ボールの宅地への飛び込み
・宅地内の植栽の踏み荒らし
・夜間は花火の音
・拡声器での指示出し
・以上が毎日続く

といった形であり、沸点が低い人なら我慢できないだろうし、そうでなくても毎日これだとちょっと・・・という気持ちにならないとも言い決まれせん。


■公開された資料

一方で、長野市議会議員の小泉一真議員が情報公開で得た資料をSNS上に上げていました。それによると、2021年10月に行われた説明会によると

長野市こども政策課
「この公園は立地的にも広さも非常に恵まれている。長野市としては子どもの達のためにも公園を残して普通の公園と同様な使い方ができることを望んでいる。当課も隣人と折衝を続けてきたが状況が変わらなかった。今後は区も交えて対応を検討したい。」

区長会
「この問題は10年以上前から続いている。以前も区長会長を交えて隣人と話をし、その際は話がまとまったように思えたが、実態は変わらなかった。」

「苦情で公園を無くすのはおかしい。苦情を言われる法的な根拠はなく、音量などの数値を示して正当性を訴えればいいのではないか。」

長野市こども政策課
「工場などの特定施設であれば騒音等の環境基準が設定されているが、このケースではお互いの受忍限度の話になってしまうので法的基準はない。行きつくところ、双方の妥協点を探るだけになってしまう」

区長会
「隣人が子供の遊ぶ程度の音で利用を制限するのは、どう考えてもおかしい。顧問弁護士なりに確認して法的な見解から対処方法などは検討したのか。」

「弁護士に確認して法的に問題ないことを主張して苦情が来ても使い続ければいいではないか。」

「仮に裁判沙汰になって勝ったとしても、苦情が無くなるわけではないと思う。苦情が続く状態で、公園が使えない、使いづらい状況が変わらないのなら地権者に返すというパターンもあるのではないか」

長野市こども政策課
「我々だけの話であれば苦情を受けながら使うでも構わないが、子ども達のことを考えるとあまり好ましくない。」

児童センター館長
「隣人は子どもが公園でボール遊びをしていると手を引いて看板の前に立たせてボール遊びは禁止だと言うくらい強硬な姿勢である。」

区長会
「市でやれる手立てをすべてやってからの相談であればいいが、この理不尽な話に簡単に屈するような姿勢が納得できない。弁護士に相談した結果、署名が必要というならいくらでも協力はする。」


全体的に強硬な姿勢が見て取れます。法的根拠を示して苦情が来ても勝手に使えばいいとか、子どもが遊ぶ程度の音に対する苦情に簡単に屈するなとか。過度なクレームに対しては毅然と対応することは効果がありますが、それはクレームを受ける側の受忍限度を超えるくらいになってはじめて取れる方法で、さらにそれよりも前にやる事をやっているという前提が必要です。

また、長野市の「双方の妥協点を探るだけ」「我々だけの話であれば苦情を受けながら使うでも構わない」という姿勢が気になります。隣人は長野市の対応に不満があると漏らしており、長野市のこうした姿勢に隣人は余計に怒りを増幅させていると考えることもできるのではないでしょうか。



ただ、2008年5月に長野市が隣人と打ち合わせをした際の文書も公開されており、それによると

隣人
「(自分が出した要望について)完全に満足できるようにしていただきたい。初めからあったならともかく、後から(このような)公園ができるようなところがあるか」

長野市公園緑地課
「すぐには思い当たらない」

隣人
「(提案された看板について)全体的に曖昧な表現が多すぎる。もっと具体的に書けないのか。隣に児童館や保育園などの建物もあることだし、打ち上げ花火の禁止ではなく、花火の禁止とか、火を使うことを禁止するとか」

長野市公園緑地課
「公園では、大きな音が出たり打ち上げ花火は禁止しているが、手持ち花火のようなものであれば特に禁止していない」

隣人
「ここら辺は都会じゃないのだから、手持ち花火程度は家でできる。この公園に花火をやりにくる人たちは、騒ぎに来るのが目的だし大勢で来る。手持ち花火だけではおさまらないだろう。」

長野市公園緑地課
「公園利用者のマナーの問題であるので、すべての人を同じと考えての厳しい規則は難しい」

隣人
「この公園だけは特別と考えて欲しい。」

長野市公園緑地課
「区長等と協議をして対処したい。」

隣人
「おじいさんやその孫がボールで遊ぶ程度であれば問題ないと考えている。中学生のキャッチボールの音や、バットの金属音がうるさい。サッカーをやっている中学生は、南側の畑に人が出てくるとやめるのに自分が庭先に出て行ってもやめない。中学生が遊んでいてうるさいときは、いつも110番通報している。」

長野市公園緑地課
「(公園の出入口について公園角に移設への要望について)カーブ付近に移設するのは、安全確保の面から必ずしも良いとは言えない。」

隣人
「安全確保以前に出入口を移してもらわないと困る。出入口があるからそこに人が集まってしまう。自転車のベルを鳴らしたりゲームをしたりしている。強度の高い安全柵を設ければ良いのではないか。嫌がらせのために公園を作ったようだ。」

長野市公園緑地課
「地元協議を通してこのような配置になった。しかし結果として隣人に迷惑がかかってしまっているようである為、構造と機能を検討の上最大限配慮したい。」

隣人
「植栽は植栽でやってもらうが、入口の移動が我々の第一の要望だ。児童館に迎えに来たお母さん方のしゃべり場所になっている。その声もうるさい。」


まずビックリしたのが、この立ち合いが土曜のPM9:30~11:00なんですよね。AMと間違えたんでしょうが、本当にPMなら休日の夜中まで打ち合わせに付き合わされた職員の方が可哀相でになってきます。

それから隣人の強硬な態度が目に付きます。
・完全に満足できるようにしていただきたい。
・曖昧な表現な看板が多すぎる。もっと具体的にしろ。
・手持ち花火程度は家でできる。
・この公園にくる人たちは騒ぎに来るのが目的だ。
・この公園だけは特別と考えて欲しい。
・安全確保以前に出入口を移してもらわないと困る。
・嫌がらせのために公園を作ったようだ。
・植栽は植栽でやってもらう。

これを見るとクレーマーのように見えます。特に気になったのは、この公園だけは特別と考えて欲しいという点と、安全確保以前に出入口を移してもらわないと困るという点でしょうか。正直、この発言はクレーマー以外の何者でもないと思います。花火の話や完全に満足できるようにしていただきたいという発言も合わせると、思い込みが強く、利己的な考えのように見えます。


そして2022年8月の市長レク資料によると、弁護士に相談した際に「法的には、公園を通常の利用の仕方で遊ぶこと、また、その騒音が周囲に与える影響については、受忍できる範囲とされているため、普通に遊んでいい」と回答を得た上で、隣人の声が記載されています。

隣人
「児童センターや公園の建設に関し、説明がなかった。宅地へのボールの飛び込み、植栽の踏み荒らし等が重なり、利用者への不信感を募らせるようになった。」

「(上記弁護士の回答について)そもそも通常の利用ではない。」

「常識外れの使い方。住環境としてあり得ない。公園ができたことによって良いことはなかった。誰も謝ってくれない。」

「道も狭く、公園の東エリアは、開発行為の繰り返しで迷路のようになっているところに、1日100台の車がお迎えに来る児童館を作ったのは、想像力のかけらもない。」

「改めてご理解いただけないかと言われても、こんな思いを18年間もしてきた。無理である。考えは変わらない。公園の廃止には大賛成。」


説明がないことへの怒りから、長野市、利用者双方に不信感を募らせ、公園の使い方についえ常識外れで通常の使い方ではないと主張し、公園の廃止は大賛成と言う。これを擁護するのはなかなか骨が折れます。


長野市こども政策課
「隣人からの𠮟責や注意が子どもに与える影響を考えると、今の状況では児童センターの児童は公園を利用できない。」

青木島児童センター
「5人以下で遊ばせてきたが、その後も苦情を言われ、令和3年3月から一切遊ばせていない。」

青木島保育園
「会話をしない0~1歳児の少人数で利用している。その他の園児を遊ばせる状況ではないため、小学校の校庭等を利用させてもらっている。」

青木島小学校
「苦情のため当初から利用しなくなったが、令和3年6月に久しぶりに公園を利用した際、苦情があったのでそれ以降利用していない。」

5人以下での利用や、小学校側の利用でも苦情を言われるのであれば、どんな形であれ子どもが公園で遊んでいたら叱責や苦情を言われているように見えます。いずれも愛護会はしない、できないと回答するのは当然ではないでしょうか。


そして長野市は公園廃止の決定要因について
・苦情により公園を利用できない状態にある
・地元要望で設置された公園なのに、愛護活動が継続できない
・地元要望で設置された公園に対し、地元から廃止要望が出された
・利用できない公園に、借地料を支払っている

を挙げ、「児童センター、保育園、小学校に隣接しているため、一度に訪れる利用者があまりにも多い状況で使用される環境であり、近隣の住環境を考慮した結果、必ずしも適地ではなかった」「ある意味、皆が被害者。この状況を終わらせる必要がある。」として廃止を決定しました。


なんだか長野市の対応が最後まで尾を引いたように感じますね。それなのに自分達も被害者である、という言い分はお役所というかなんというか。自分達は最大限やったでしょ感が何とも言えません。



■まとめ

個人的には、隣人はクレーマーに近いと思いますし、長野市の対応もいかにもお役所仕事という印象を受けますし、区長会も周囲の合意なしに公園設置を進めたようなフシがあるので、皆が被害者というより皆が加害者といった方がしっくり来ます。

そもそも、公園を新設する場合は隣接する住民には十分な説明や相談、合意を得るのは基本ではないでしょうか。隣人が主張したように、後から文句言われると対応が難しくなりますからね。

また、区会長も事前に隣接する住民と相談をし、設置後のクレームに関してはキチンと話をした上で、書面等で記録を残すことまで出来れば良かったと思います。ただ、この区長会という組織がどういう立ち位置なのかは分かりかねますが、もし町内会のような立ち位置であれば素人にそこまで求めるのは酷かもしれませんし、やはり最初から否定せず、しっかりと話したことを記録し、それを基に長野市に相談するのが正解だったかもしれません。

そして隣人については住環境の悪化に関する法的根拠をしっかり用意して話し合いをすることが重要だったように思います。例えば、通常の使用ではない、常識外れの使い方などは、受け取る側の考え方一つでガラッと変わります。中学生がするキャッチボールの音が通常の使用ではないと言うのは無理がありますし、手持ち花火をするのを非常識とは断ずるのはなかなか難しいでしょう。

また、子どもの手を取って看板の前に持っていくなどの実力行使は避けた方が良かったですね。こうした行為は決して暴力や脅迫といった類のものとは言いませんが、令和の時代に公園の隣人の立場で行うにはリスクがある行為ですし、他にやりようがあると指摘される行為だと思います。

こういう問題は、落としどころを探るというか、お互いが譲り合う気持ちが一番大切なんですが、隣人からは妥協案が見えてきませんでしたし、全くその気はなかったようで、その点は非常に残念です。


結局、「普通に遊ぶ」の範囲が双方で食い違いがあったように思いますし、そこは弁護士や裁判などで争っても良かったような気もします。ただ、開設まで丁寧さを欠いていたようにも思えますし、その上で裁判までやったら完全にこじれ、子どもに対して乱暴な行為に発展する可能性も十分にありますから、やはり廃止はやむを得なかったと言わざるを得ません。子どもが怪我をする事象になってからじゃ遅いですからね。

また、仮に開設までに丁寧さを欠いていたとしても、苦情をきっかけとしてキチンと検証する姿勢を見せることが大切です。市議会で騒音の程度を問われても測定の記録はないという長野市の姿勢は、これまでなぁなぁにやってきた事実を表しているのではないでしょうか。最初から落としどころを探すような対応だったら結果は違ったのかな。


代替案はそう浮かびませんが、原状回復せずに地権者に返還して、地権者が私有地を開放して遊ばせ、クレームは地権者に入れてもらうというウルトラCだったら楽しいなと思いました笑 隣人からしたら私有地で遊んでる子どもに文句言えませんし、文句言っても地権者に言えで追い返せますし、隣人からクレームが来ても、高齢(ボケ)だったり、遠い居住地(海外居住)などを理由に、それを華麗にスルーする地権者とかカッコいいですよね。まぁそんな事したらしたで面白い展開になりそうですが。

ともかく、そこそこ広い公園が廃止されるのは残念ですね。どうせなら、その借地料を使って人を雇って小学校の校庭を開放するのが手っ取り早いですが、そういう差し引きができないのが行政の辛いところ。今から大逆転の一手なんてまぁ無理でしょうし、隣人の今後が気になります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?