Teru様へ
はじめに
さて今回は、十文字くらいで夢を教えて欲しいというご希望をいただいたので、それについて、少し長くなるかもしれませんが、台南のホストファミリーの妹が作ってくれたバナナマフィンと入れた手のコーヒーが私をあまりにも愉快にしてくれているので、書きたい。中学生の修学旅行で無駄に買った木刀の話を思い出した。ワクワクしているとついやってしまう衝動。今回も書き足したことが蛇足になってしまいそうな予感がしてならない。
桃源郷と理想郷
まず、本で桃源郷という単語を見て、これがユートピア(理想郷、シャングリラ、アガルタなどとほぼ同義)という意味ではなかったことに驚いた。むしろ正反対の意味だった。
桃源郷は、目的を持って追求したのでは到達できない場所とされる。
既に知っているものであるため地上の何処かではなく、魂の奥底に存在している。桃源郷に漁師が再訪出来ず、別の誰かも訪問出来なかったのは、心の外に求めたからであり、探すとかえって見出せなくなるという。
一方、ユートピア(理想郷)とは、理想社会を実現しようとする主体的意志である。それは遠く離れた島国とされているが、全く到達不可能な夢幻としてではなく、地理や社会制度の意味において十分到達可能なものとして描かれており、普通の人々が努力して築き上げたものである。
さらにWikipediaさんは、ユートピアの崩壊後に姿を現すものが桃源郷である。とも言っている。
すなわち、主体的・積極的なユートピア思想は、その目標とは全く裏腹の大きな災禍を生じる。消極的な桃源郷は、現実には何の力も持ち得ないが、人間の精神に大きな慰めを与え得る。
なるほど、勉強になった。
その上で思ったことは、
ユートピアを描くことで可能性に制限がかかる、と思った。これは夢や目標を持つことが悪いと言いたい訳じゃない。もちろんそれらの過程から獲得できるものはとてもたくさんある。
しかし、先ほどの繰り返しになるが、そればかりを見ているせいで、見出せないもの、気づけないこと、逃してしまうもの、疎かになる大切なことがあるに違いない。
私は今、もっと自分との対談を大切にしたい。
自分を過信しすぎたくない。
自分の中に自分を否定する自分を養いたい。
明日は今日と違う価値観で生きたい。
夢や目標はないが、
私に野心や向上心や日常への意気込みがないわけがない。
これからも毎日、新しいことに挑戦し続けます。
一番は恩返しのために。
Teru様も台湾に来ると、勇み立っているそうですね。
応援してます。
北條琢人
未来の自分のために、お金を使いたいです。応援ありがとうございます。