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台湾留学、一年を経て、改めて感謝


台湾留学に来させてもらって、一年が経とうとしています。(2019年9月〜)

書きたいことが多すぎて、二日考えても脳の中で内容を整理することができませんでした。

そこで、キーワードを決めて、私の台湾留学を因数分解しようと思いました。

1つ目のキーワードは「感謝」。

まずは、この道を勧めてくれた母と支えてくれている父に感謝をしたいです。

おかげでものすごく貴重な経験をさせてもらっています。

ここからは台湾の中での感謝の話をしていきます。

本当に彼らのサポートなしにはここまでやってこられなかったと思っています。

感謝している人は大きく分けて「クラスメイト」・「AIESEC」・「ホストファミリー」・「教授」があるのですが

クラスメイトに最も感謝をしているので、この話は最後に残しておきますね。

「ホストファミリー」

2020年の冬休みはコロナの影響で約2ヶ月半くらいありました。

私は、はじめの2週間は日本に帰って生活をし、そのほかの月日を台湾で過ごしました。

長期休暇中、寮に住み続ける場合は前もって申請をしなければならなかったのですが、忘れていたのです。

台湾に戻ってくる前に、インスタグラムのストーリーでその旨を伝え、私に宿を貸してくれる人を探しました。

幸運にも、同じ社会学専攻の友人(Eさん)と昔AIESECの活動で知り合った方(Bさん)が名乗り出てくれました。

Eさんは、1週間くらいならあなたをうちに泊めることができるよ。

と言ってくれました。

私は台中にある、その家へ行き、初めてEさんの両親と顔を合わせました。

そのころ、コロナのニュースがちらほら耳に入り始めていました。

サーズの経験がある台湾は感染病にかなり敏感であると知っていたので、

毛嫌いされるかもしれないという不安もあったし、申し訳ない気持ちもあったが、

お母さんは活発な性格で、お父さんは静かな性格、というのが第一印象で、どちらも私を快く迎え入れるだけでなく、私の身内の心配をした上で、十分な量のマスクをくれたのです。

その家庭では、家でご飯を食べるというより、外食が一般でした。

これが台湾スタイル。日本では家庭ごとの違った味のお味噌汁があるが、台湾は外食文化がとても発達しているんです。

両親は朝早くから仕事へ向かい、娘さんは幼稚園へ通っており、

私には専用の個室があったので、家族と時間を合わせる機会は少なかったです。

だけども、まだ小さな娘さんと写真を撮ったり、私が快適に過ごせるように、何から何まで用意してくれて、申し訳ないくらいだったことをよく覚えています。

その家を去る時、彼らは「またいつでも来ていいからね」と言ってくれました。

Eさんは私をバイクに乗せ、いろんなところへ連れて行ってくれました。

バイクで80キロ以上だして、後ろの私は少し冷や冷やしました。

その土地の美味しいものを食べたり、有名な観光地をまわったり、とても充実した1週間でした。

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昔AIESECの活動で知り合ったBさんの家には1ヶ月の間泊めてもらいました。

その家庭は山の上に家があり、本当に心から「私もこんな別荘が欲しい」と思いました。

家の周りはありのままの自然な状態で、犬を三匹、猫を二匹、鶏を一匹飼っていました。

Bさんの家族は計4人で、とても仲睦まじい雰囲気でした。

特にお母さんがやんちゃっ気のある人で、とてもパワフルだったのを覚えています。

夜空も朝の空気も、綺麗だったなぁ。

なんだか、ジブリの世界に飛び込んできたようでもありました。

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これは、私が去る数日前に撮られたもので、私は「素人改造計画」というのでモデルになってきたので、髪が部分的に赤くなっています。

この場所で、朝からゆっくりと出来立てのパンとコーヒーと果物を味わう時間がとても好きだったな。

私自身、自分の健康志向はかなり強いと思うのだが、ここの生活の健康さには驚かされました。

ここのお母さんは英語塾の先生だったので、ここら辺の土地一帯との横の繋がりがかなり濃かったです。

故に、私はたくさん地元の人たちと交流をすることができました。

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知り合いの家族の子供とその友人たちと観光へ連れて行ってもらったり、小学校の英語の授業に参加させてもらったり、ホストマザーの経営する英語の塾に参加したり。地元の中学生サッカーチームの練習に通ったり、、。

とても充実していました。

ホストファミリーには、本当にいろいろなところへ連れて行ってもらいました。

海辺でキャンプ、山登り、夕日、美味しいものなどなど。

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一番印象深いことは、私が熱を出してしまった時。

人様のうちに泊めてもらいながら、心配させるなんてありえない、と自分でも思います。

さらに、その時期はコロナも本格化しており、高熱の私をみた医者たちは少し慌てているようでした。

私を車で病院まで送ってくれたホストファザーの顔にも緊張の顔が窺える。

それでもホストファザーはずっと励ましてくれました。

私はすでに入国からとっくに2週間は過ぎていたので、コロナの可能性はかなり小さいと言い渡され、薬だけもらって帰れました。その時は、とてもとてもほっとしました。

しかし、本当にお腹が痛くて、動けない日が数日間続きました。

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本当に5年に一度のきつさ。

しんどかった。

この時に最もホストファミリーの温もりを感じました。

自分がきつくて何も気力がない時に、近くで笑ってくれる人たちだったから、少し元気になれたかな。

いつもはそっけない猫が一緒に日向ぼっこしてくれている時の写真。

本当に充実した日々をありがとうございました。

「教授」

優しい教授に恵まれていたと感じています。

「あ、すごく私のことを考えてくれているんだな。」と思う場面がたくさんありました。

生徒とのコミュニケーションが多くて、一緒に夜ご飯に行ったりする教授が多い印象です。

特に社会学の教授たちはその傾向が強いです。

人と人とでつくる社会の学問だから、自分だけの視点だけではいけません。

自分たちの授業を通して、何を生徒に伝えるか。

こういうことを教授たちが熟考していることは聞くまでもなくわかります。

冬休みに、わざわざ電話をかけてきてくれる教授がいました。

「日本ついたか?」「元気か?」

遠くに住む親戚のおじいちゃんとの会話のようで暖かかったのです。

「AIESEC」

台湾留学一年目はこれなしでは語れません。

AIESECは、世界規模の学生団体で、主に若いリーダーの育成・社会問題解決などのスローガンを掲げています。

私からの詳しい説明は割愛(AIESECの詳細)。

ここで様々な活動に参加させてもらいました。

自分の英語力の乏しさを痛感し、その重要性を再確認したり、

他の人の海外経験について聞けたり、社会問題に興味を持てたり、

意見を持つことじゃなく、伝え方が大事だということも知ることができたり、挑戦することの意味を体験できました。

毎回の活動が本当に濃かった。

AIESECを通して台湾全土、海外に知り合いができた。

そういう学生団体に所属している人たちの考えは面白く、価値があると感じた。

自分を見つめ直し、殻を破り、成長することができるとてもいい経験でした。

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「クラスメイト」

クラスメイトなしでは、確実に、単位を幾つか落としていたでしょう。

まず、台湾の大学に来た当初、科目を選択することもうまくできませんでした。

台湾の友人たちは、自分のこと以上に私に気をかけてくれて、わざわざ学科の職員室にまで連れて、十分な科目を選択させてくれました。

他にもたくさんあります。

社会学科はえげつない量のレポートの提出を要求されるんです。

入学式の当日に渡された宿題が「なぜ大学で学ぶのか(5,000字)」でした。

これを1週間かけて作り込みました。しかし、私の中国語能力は小学生二年生くらいしかないと自覚していたので、友人にカフェへ来てもらい、添削をしてもらいました。

4時間もみっちり見てくれました。

それ以降の宿題も、授業の最中も、中期考査の前も、グループレポートも、、、。

生活の至る所で、台湾人が私が台湾に溶け込めるように、優しく肩を抱えるように、ゆっくり話してくれたり、わかるまで何度も説明をしてくれたり、学習以外の面でもたくさんお世話になりました。

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ありがとう台湾。

謝謝台灣。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

以下、動画です。



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