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アマチュア数学者として生きる

ちょっと研究に疲れたのでここで息抜きします。なぜ人は数学に魅せられるのでしょうか?これは分かる人には言わなくても分かるし、分からないひとはどんなに力説しても分からない事なのですが、今日はそれを語ってみたい気分です。みなさんは美しい夢を夜に見たことがあると思います。朝起きたらなんとも清々しい気分になり、人生が豊かになったと感じることがあると思います。数学の世界は、そのような夢の世界であり、現世を超越した美の世界なのです。そして僕の経験からいえば、その世界は確かにあるのです。人間の感覚ではほんの少ししか感じ取れない世界ですが、確かにある。数学というと理屈詰めで、堅苦しい世界という印象しかないという人も多いと思うのですが、それは受験勉強の狭い世界では、そうでしょうけれど、そのあとには本当に自由で美しい世界が広がっています。一度この美に魅せられたものは、生涯を費やして探求しても、ちっとも悔いが残らないのです。そういう意味では、芸術の世界にとても近いのです。ある人はこの美により至上の幸福を味わい、ある人は身を滅ぼして朽ちていく。怖い世界でもあります。美とは怖いものでもあるのです。しかし、本来、美とは人生を豊かにしてくれるものです。夜に見る美しい夢、ふと見上げた夕暮れの空の美、そのようなものです。
しかし、数学者も人間ですから、実人生というものがあります。ご飯を食べなければお腹がすくし、結婚もしたいし、子供もほしい。大学教授でも塾講師でも、とにかく働いてお金を稼がないといけないのです。絵描きでも、音楽家でも、とにかくお金が必要です。そのために時間を割かなければならないのです。そこで僕が考えたのが、不労所得をうまく活用できないかということです。先にある程度稼いでおいて、それを投資に回し、配当金や利息を受け取る。こうすることで仕事の量を減らせるのではないかと考えたのです。だから僕が投資をしているのは、お金が欲しいからというより、時間が欲しいからなのです。お金の事を考えることは汚いことですが、生きるということは、そのような事もしなければならないのです。
さて、話をもとに戻しましょう。数学の中でも整数論と呼ばれる分野は数学の女王と呼ばれていて、おそらく最も素人でも美を感じることのできる分野です。フェルマーの最終定理とかABC予想の解決とか、話くらいは聞いたことある人が多いのではないでしょうか。他にも数学には沢山の分野があって、それぞれ個性的な美を持っています。僕もその美に魅せられた一人として、数学の世界を歩き、論文という形にまとめていきたいと願っています。人間として豊かな精神活動をしていたい。それが僕にとっての豊かな人生なのです。人の数だけ幸せの形があります。大学教授ではなくても、数学者にはなれます。フェルマーという偉大な数学者は、弁護士でした。2000年前のギリシャでは、大学というものがそもそもありませんでした。必要なものは、集中して数学にとりくめるまとまった時間と、最低限の生活の保障です。
最後に、僕の好きな芥川龍之介の言葉で結びたいと思います。
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彼は雨に濡れたまま、アスフアルトの上を踏んで行つた。雨はかなり烈しかつた。彼は水沫しぶきの満ちた中にゴム引の外套の匂を感じた。
 すると目の前の架空線が一本、紫いろの火花を発してゐた。彼は妙に感動した。彼の上着のポケツトは彼等の同人雑誌へ発表する彼の原稿を隠してゐた。彼は雨の中を歩きながら、もう一度後ろの架空線を見上げた。
 架空線はあひかはらず鋭い火花を放つてゐた。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかつた。が、この紫色の火花だけは、――凄すさまじい空中の火花だけは命と取り換へてもつかまへたかつた。

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