見出し画像

PTA論争、保護者の乱 <振り返って>

届かない保護者の声

「PTAはもう続けられない」そう言われて10年以上。それでも1年また1年と続けてきた。ここ4年近くは「もう無理」という温度感が高まっていた。それでも、先生にも市P連にも届かない保護者の悲鳴。

なぜこうも届かないものなのか。

そして、今年もまた歴史が繰り返され、「いよいよPTAは今年で無理」となった。それでも保護者の声が届かぬまま半年が無情にも過ぎ去った。

声のあげ方なのだろうか?

12月末、条件を出された。「規約を書いてこい」

正直、その時は「どうせ書けないでしょ?だから諦めなさい。」と見下されたと感じた。悔しかったから書いた。条件を出すことによって勝ち誇ることはできない。むしろ、条件を出したところからが白旗なのだろうと今からすれば思う。

奇襲提案から始まったPTA論争の表面化

問題はどのように書いた規約を提出するかだ。

規約だけでは不足なので、どのような新組織が良いのか提案書まで書いた。もちろん、正攻法で、校長教頭に出し、PTA会長に出し、としていたら、また「届かぬ声」になる。どこかで握りつぶされる。そう思う程にもう信頼関係が崩れていたのだと思う。

だから選択したのは、奇襲提案。1月12日のPTA委員総会。委員総会といいながら、小規模校なので、全員出席だ。途中帰られた先生がいたのには驚いたが、それでも奇襲提案した。

それが良かったかどうかは分からないが、確実に言えることは、声が潰されなかったことだ。奇襲提案していなければ、また声は途中で潰されていた。後戻りできないようにするには、結果して選ぶしかなかった道だと思う。

何をしたい?内省の時間

奇襲提案から、先生の要望はエスカレートした。ビジョンを示せ、コンセプト持ってこい、PTA負担を箇条書きにしてこい、もう止まらない。

しかしだ、言われたことは基本全部やっていく。こちらの声を聞いて欲しい。そのために言われたことはやる。

しかし学んだ。先生はずるい。教員たる者、一度言ったことを反故するなかれ。舌の根も乾かぬ内に180度逆のことを言うことに随分と慣れた。保護者の声を「無」にする言動の数々、言葉を「歪める」言動の数々、先生は不誠実だ。自分の身を守ることしかしないのだろう。しかも、涼しい顔で反故するのが一番教員としての信頼を壊した。こんな人間が教員とは「日本の教育は終わった」と感じた。

それでもだ。求めに応え続けようとして良かった側面がある。我々保護者も新組織を立ち上げる目的やビジョン、新組織に求める要素、などが随分と可視化された。たくさん勉強した。内閣府、文科省、県教委、市教委、それぞれ出している今後の学校教育や学びにおける基本概念や教育の資質について記載された文書。中審の答申内容。そして、自分達の思い描くことが随分と言語化され、提案資料として落とし込むことができるほど可視化された。

見えた未来像

PTA解散が目的ではない、手段だ。ということにも気が付いた。

我々保護者がやりたいことは「子ども達を真ん中に据えた」「子ども達が主役」の「学びの場」(学校だけではなく、学校と家庭の連携を通じた学び)を創っていくこと。

PTAも元来「子どもため」を謳っていたかもしれない。しかし、我が校は山間過疎地の小規模校故に、PTAが十分に機能していなかった。大人の課題ばかりが取り上げられ「子ども」という登場人物が一切無い。それはもう本末転倒だ。そのPTAのために親が時間と労力を割くことをやめ、少人数だからこそ、「子供を真ん中に据えた」学びを改めて構築していくための組織を立ち上げ、そこに人と時間を集中投下する。それだけだ。

学校の生き残る道。常に付きまとう「廃校」の二文字。

廃校にさせない。特色ある学校を創り、子ども達が通って良かった、子ども達を通わせて良かった、と言える学校にしていきたい。

奇しくも、地域も移住者誘致で盛り上がっている。

地域の向かう未来と学校の向かう未来を合致させていく。学校だけが地域の動きに取り残されているのではなく、地域に追随していく。それが地域と共にある学校だと思う。

保護者も未来を見据えている。

進むしかない

教職員と意を共にしていなくとも、前に進むしかない。正直苦しかったし悲しかった。分かり合えない校長と教頭、先生方。

中核となって動いていた保護者達6名も3度足を止めた。その時々にそれぞれの考えや想いを確かめ合った。共通している内容もあれば違いもあった。それで良い。皆それぞれ違う考えを持っているということを認め、けど、その時の現在地の想いを確認できたからこそ共通項を元にまた前に進むことができた。

もう止めることはできない。進み始めた未来は進み続けるしかない。それが覚悟であり、意志ある未来を創っていくことにつながる。

新しい章の幕開け

決して、幸せを感じる新しい章の幕開けにはならなかった。釈然としない決定だった。

それでもそれを受け入れる。

それが今の現在地。

意を違う教員方の想いも腹に据えながら、すれでも前に進むのみ。悲しみ足を止めていても未来は開けない。信じる人がまずは進んで行く。そして、ついてきて貰えるように努力するのみ。

『遠くへいくならチームで行け。』

「6人の侍」と呼ばれた。我々6人だからできることがあるのかもしれない。お互いを支え合い、励ましあえる。移住者ばかりだ。どこでいつまた皆が散っていくのかも分からない。しかし偶然にもこの瞬間ここ山間地の小規模校で出会い、課題を共にし、未来を共に見る、そんな仲間が集うことができたことが嬉しい。

これから先は仲間づくり。仲間を増やしていこう。

PTA論争の10年にも渡る長い長いプロローグが幕を閉じた。ここからが新しい章の幕開け。

どんな状況であれ、ワクワクしてやっていこう。形にしていこう。まだまだ対峙せねばならないドロドロの課題もある。それもポジティブに捉えていくことで心を奮い立たせて行こう。

とにかく楽しむ!

どうぞ、新しい章も楽しみに、お付き合いください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?