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太のストーリー

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生きる姿を、音楽と。太のストーリーを紹介します。
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#この街がすき

鮫洲駅の停車時間のような日々で

鮫洲駅と聞いて多くの人が連想するのは、教習所か、または京急線の停車時間なのではないないだ…

明大前で降りて、大学生と並んで食べた家系ラーメン

社会人5、6年目の頃、京王線と京王井の頭線で、渋谷の会社まで通勤していた。 さすがに学生気…

汐留の高層ビルから見た東京の夜明け

大学時代、汐留のとある会社でバイトをしていた。 24時間対応のシフト制のバイトで、夜勤に入…

豊島園近くの生活には映画館と美味い焼き鳥屋があった

住んでいる家の近くに映画館があることは、確実に暮らしを豊かにする。 そのことに気づいたの…

荻窪の本屋や食堂と同じように、僕の日常も着実に前に進んでいる

ちょうど3年前、当時住んでいた家から一時間近くかけて、奥さんと一緒に自転車で荻窪まで行っ…

口コミが少ない練馬駅前のラーメン屋

「某口コミサイトで評価3.5以上のお店は美味しい」 という話がよく聞かれるようになってからと…

敷居が高かった学芸大学が一気に身近になった喫茶店

都内の東横線沿線の駅は、遊びに行くことはあっても、住むには敷居が高い。 東京で生まれ育ちながらも、いや生まれ育ったからこそ、そんな風に感じ続けている。 代官山、中目黒、祐天寺、学芸大学、都立大学、自由が丘、田園調布。 自分の経済力的にそれらの街に住むのはハードルが高いというのが前提にありつつ、それを差し引いて考えても、自分ごときが住むのは烏滸がましいという気分になってしまうのだ。 僕が生まれ育った場所は、年に一回のお祭りを楽しみに生きていて、肩に大きな神輿こぶのあるおじ

品川シーサイドの公園で、同級生のヤンキーがかけてくれた言葉

「あ、やめろーーー!」 と思いっきり叫んだけれど、時すでに遅しだった。 クラスメイトの寺田…

青空の下、永福町の公園で思ったこと

6年前の夏の終わり。 パワハラにあって、自主退職に追い込まれた。 一時期は無職になってしま…

仙川で生活したからこそ気付いたこと

数年前、奥さんと同棲をはじめた街が仙川だった。 もともとそれぞれ一人暮らしをしていた下北…

新宿は、朝とともに僕を迎え入れてくれた

この世にはたくさんの「東京」という曲がある。「東京」がタイトルの一部になっている、歌詞の…

吉祥寺のライブハウスを出ると、月が綺麗に見えていた

いまから10年前。 大学4年生になったばかりの4月に、無事に働き先が決まった。 それと同時に、…

下北沢駅前の居酒屋チェーンで

大学3年生の春、就活の影が見え隠れするようになってきた頃の話だ。 ティーンの頃から音楽が大…

引っ越し先は、孤独な自分を受け入れてくれた街。

最近引っ越してきた街は、僕が大学に入学した最初の1年間、通っていたキャンパスがある街だ。 街を歩いていると、まだ18歳だったあの頃に通い詰めたいくつかのラーメン屋がしっかり営業中な一方で、チェーン店の顔ぶれが変化したり飲み会をやった居酒屋が閉店したりもしていて、もうあれから10年以上も経ってしまったんだなあ、と少し感傷的な気持ちになる。 この街のキャンパスに通っていた1年間は、思い返せば結構苦味が残っている。 その頃の僕は今以上に、すぐ物事を諦めてしまう癖があって、かつ