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環のストーリー

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生きる姿を、音楽と。環のストーリーを紹介します。
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#この街がすき

原宿に親戚でもいたっけ?

大学生の頃、なかなかアルバイトが決まらなかった。理由は明白で、大学の体育会系の部活に入っ…

浅草の喫茶店で会いましょう

大阪から友達が遊びにきた。宗(たかし)は私が大阪にいる時に知り合い、いつもお笑いだの人間関…

西新宿でふと気づく役割

縛られるのがこの上なく嫌いだ。 誰でもそうかもしれないが、自分は特にその気持ちが強いと思…

吉祥寺で表舞台に立って泣いた日

体調は悪かった。正直なところ外に出ていいかどうかはギリギリな日だった。 2023年10月28日、…

練馬の環状8号線でチャリに乗っていた高校生は高円寺に行かないそうです

環状8号線を走っていて練馬あたりを通るとむずむずする。それは高校生の頃の恥ずかしい記憶が…

後楽園の体育館で向き合ってくれていたのは校長先生だった

弱小男子バレーボール部の顧問は校長先生だった。 私は中学生の頃、男子バレーボール部に所属…

夏の中村橋が悪夢にならなかったのは理科のおかげ

勉強ができたのである。特に理科。中学3年の2学期の中間、期末、そして3学期の期末の計3回ですべて100点だった。 「坂本〜!テスト取りに来て〜」 「あ、はい!」 「お前すげーじゃん!でもおっかしいな〜そんな簡単かなぁ」 理科の女教師・坂東は、胸まで伸びた縮毛矯正の髪を触りながら私に目を向ける。そのまま「ん〜」と首を傾げ黒板の方を向き、頭をかく。再度こちらへ振り返るとニヤニヤ顔だ。変な教師だった。 坂東は椿鬼奴みたいなやつだ。中学1年からずっと私たちの学年に理科を教えていた

浅草にある橋のたもとのお寿司屋さん

幼少期の記憶は「前世の記憶か?」と思ってしまうほどに薄い。しかし小学生になる前、父と浅草…

高校生の私は阿佐ヶ谷で熱唱した

たしか火曜日だったと思う。私は男子バレーボール部に所属していたが、火曜日は体育館を使うこ…

下北沢で太と出会った。だからこのエッセイが始まった

走った。大学の体育館で着替えると、先輩への挨拶もそこそこに駅へ向かった。小田急線の急行に…

逃げろ!イカちゃん!

「お〜い!!!!戸田隆〜!!!!」 中学校の下校時間。 校門を出ると、中学校の隣にある民…

雨の中でも駆け出せた

「もっさん、もっさんってば!!!」 店長の浅井さんの声にハッとした。 コンビニの店内に流…