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人間らしさを超長文で語ってしまったり。話結構ズレズレな気がしたり。

 完全に日記の日数を完全に床に溢してから数日経ちまして。まあ良いじゃないかと自分を鼓舞しながら後ろ歩きに今日も歩いていこうと思います。こんな感じじゃないかと思います。ふと、「機械になりたい」と思い立って考えて検索してみましたが、途中まで書き込んだ後、検索予想に[人間を人間たらしめるもの]というものが出てきてそれについて考えようと思い、筆を執りました。いや、スマホ?んー、今に至ります。

 あー、考えは人それぞれでしょうね。悲しいことに。こんなもん共有するのは無理ってなもんです。はて自分の考えを述べれば良いのか、他人に同調すれば良いのか、正直ようわからんくなりますね。とりあえず話を広げますか。そう!人間です!人間なんです!驚くことなかれ、こんな私も人間だし、知り合いのこんな人や見知らぬあんな人も、ましてや成功しているあんな人だってどうやら人間らしい!いざ書いてみると何か当然のこと言ってるだけで可笑しい話ですな。ただ自分は人間なのか、自分はそれを疑問に思います。あー、いや、しっかり人間やってますよ?いえす。あいあむひゅーまん。怪我したら痛い…ってのは動物全体としてそうですが、あー、ちゃんと四肢もくっついてますし、何かを想うことも多くあります。食事は一日三食きっちりを心掛けていますし、睡眠もしないと次の日がちゃんと怠いです。よく働きますし、よく学びます。自分の知ってる人間はこんな感じです。それに自分自身も該当しているので、自分は人間なんだと思ってます。が、人間である事を理解した上で人間らしさに答えを出したことはありません。人間らしさ自体が自分だけの答えで分かるものじゃないと考えている…のかな?と思います。まあ考察くらいは出来るんじゃねーか、と頑張ってみます。誰かの生き方の参考にでもなれば嬉しいですね。

 人間と言うと、自分と同じような体の形をした、それでも自分とは違った価値観を持った生き物達の事です。100%同じ価値観を持った人間は自分視点、確認出来ていません。考える器官は同じですが中に通る基盤となる部分は違います。というかまあ、外見的には人間と呼べる部分あんま無いと思うんですよね、二足歩行かつ四肢、その上に頭部さえあれば人間なのかと言われると…まあ人間っちゃ人間なんですけど。うーん。色が色だと…こう、不安になりません?肌の色が緑だったり…ゾンビっぽ…あれも人間か…人間かなぁ。外見的にいつも見慣れていて、変なとこさえなければ見た目も人間です。多分。じゃあ内面的な部分だと?感情的な部分とも表せます。こいつは間違いなく人間にしかない、人間らしい部分のはずです。効率よりも感情に走り、ずっこけて失敗しても、良い話になったという雰囲気を出せるすげーやつです。これは人間すべてに感情というものが有るからこその成せる技ってやつな気がします。これで投げ出せばそれは悔しいのでもーちょい風呂敷広げたい。

 ときに、人間らしさとは基本良い言葉ですよね?人間らしくて良いねとは言えども人間らしくてダメだとか言われませんし。じゃあ人間自体も良い生物なのかと言われると割とそうでも無いんじゃないかと思います。個人的には。感情一言を人間らしさと表すなら、誰かを嫌いになることも一つの人間らしさな訳です。なので、どうも綺麗な事だけを人間らしいと言うのは虫が良すぎる気がしてならんのです。言ってないだけとも捉えられますけど。だから、あー、その、誰かを嫌いになることも綺麗な事なのかもなと今考えました。いや、絶対に良いことでは無いんですが、自分に感情があって性格という物が作られて、それに合う人間を探すのは馬鹿みたいに難しいです。んー、他人の嫌いな部分を見つけて、その嫌いな部分も好きと言えば、嫌いな部分すらも好きになるのでしょうか。いやー、中々なりません。現時点での自分がそうです。嫌いな人間は嫌いなんです。もちろんその人にも良いところはあります。そこだけを見て一緒に歩けるのならそりゃ最高です。でもそれは、好きな人間に対する態度じゃ無いでしょう?あー、だから、その、えーと、そう、知らない人からの知りたいは好きの証、なのかな?よう分かんないんですけど、そこに興味は持ってるというか、なんというか。その過程で嫌いなものは見つかっちまうもんなんです。だからって切り捨てるのは、いや、人間として至極全うな行為ですけど、容認は出来る限りしたくないです。言うて特になにもしませんけどもね?あー、至極全うな行為とは言え、食わず嫌いは人間の特権とは言えない…ですよね?とても人間らしいとは思えません。そういう教育を受けたからかもしれないですが。いや、まあ、はい、食わず嫌いは、とてつもなく合理的な考えです。毒があるのか、自分を殺すものじゃないか。どんな味がするのか。全く分からない状態ではそりゃ食いたくないです。というかまず食ってみて不味かったらふっつーに吐き出します。不快ですし。敬遠だって無限にしてやりますともええはい。だって楽な状態でありたいんですもの。人間らしさは…あるんじゃねーですかね。口にいれて吐いて、食ったって悪影響しか出さないっていう広がった仮の風呂敷も人間が作り出した人間にしか作れない思いだと自分は思います。もうこうなると人間らしさが何なのか本当に分からないんですけど、効率や合理性を求めるだけが人間じゃないと思うんです。そりゃ効率的に考えりゃ物事は滞りなく進みます。でも感情的な問題として、効率的なのはいかんせん負担がかかります。効率的なものに感情を混ぜた時点でそれはもう効率がようないです、本来効率的なものが未確定な存在のせいでぐるぐるぱーですよ。人間である時点で全員それが存在してるんです。じゃねーと悪いニュースなんて流れないです。だから、あー…。自分の意見ですけども、人間はさほど汚く生きてても、汚く生きれるだけの感情があるものと考えます。それが許されるかはまた別の話ですし、そんな感情が衝突しあうことで歪みはどんどん大きくなるんじゃねーかなぁとか思います。すいません、今更ながら文章ぐちゃぐちゃですね。いや、つまり…まあ、何かやりたいことがあるならそれの為に頑張ってください。その過程で嫌な事があるでしょう。それを好きと言うにも限界が来るかもしれません。でも一回でも好きと言おうと頑張って、その結果嫌いなら嫌いで良いと思いますで。半ば自分に言い聞かせてるところありますが、成功だけの機械的人生よりも失敗だらけのずっこけ人生の方が自分は人間らしくて知る価値もあると思いますけどね。「上手くいかねぇ!」って毒吐きながらでもやってる方がカッコいいじゃないですか。そういう感じです。

長ったらしくて申し訳ないです。正直人間らしさってこれが全てなのか、そもそも本当にこれが人間らしいのかも自分はちょっと分からないんですよね。まあ、だからというか、一人の考えとして考えてください、これが全員の考えって訳じゃないので。まあ、えー、終わります。お疲れ様でした。

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