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在宅医療と死の見取りについて「命の停車場」の印象と併せて

あらすじ

東京の救命救急センターで働いていた、医師・白石咲和子(吉永小百合)は、ある事件の責任をとって退職し、実家の金沢に帰郷する。これまでひたむきに仕事に取り組んできた咲和子にとっては人生の分岐点。久々に再会した父(田中泯)と暮らし、触れあいながら「まほろば診療所」で在宅医として再出発をする。「まほろば」で出会った院長の仙川徹(西田敏行)はいつも陽気な人柄で患者たちから慕われており、訪問看護師の星野麻世(広瀬すず)は、亡くなった姉の子を育てながら、自分を救ってくれた仙川の元下で働いている。ふたりは、近隣に住むたった5名の患者を中心に、患者の生き方を尊重する治療を行っており、これまで「命を救う」現場で戦ってきた咲和子は考え方の違いに困惑する。そこへ東京から咲和子を追いかけてきた医大卒業生の野呂聖二(松坂桃李)も加わり「まほろば」のメンバーに。野呂は医師になるか悩んでおり、そして麻世もまた、あるトラウマに苦しんでいた。
様々な事情から在宅医療を選択し、治療が困難な患者たちと出会っていく中で、咲和子は「まほろば」の一員として、その人らしい生き方を、患者やその家族とともに考えるようになってゆく。野呂や麻世も「まほろば」を通じて自分の夢や希望を見つけ、歩みはじめた。
生きる力を照らし出す「まほろば」で自分の居場所を見つけた咲和子。その時、父が病に倒れ・・・。父はどうすることもできない痛みに苦しみ、あることを咲和子に頼もうとしていた—。

命の停車場、HPのストーリからの転写 

はじめに

ここで、私が実際に経験した在宅医療についての実情を交えつつ、在宅医療の意義や課題、そして安楽死や尊厳死に対する私自身の考えについて述べてみます。

本文

在宅医療の実体験とは?
映画を思い出しながら、私はかつて家内の在宅医療に携わった経験を振り返り返ってみます。在宅医療は、病人と家族が事前に話し合い、自宅での療養を選ぶ医療の一形態です。

通常は、在宅医が来られ自宅で治療が行われていました。
ところが家内の病状が急変し、在宅医師の判断も考慮して救急車を呼び入院することになりました。その結果、本来予定していた在宅医療が叶えられなかったことは、私にとって心残りであり、人生の中での大きな痛恨事となっています。

家内は、最後は病院ではなく自宅で亡くなることを希望していましたが、本人の意思と家族の理解をどう調和させるかは難しい問題です。最後の局面で、生命維持装置に繋がれたまま意識のない状態で苦しむことだけは避けたいという家内の願いがありました。

私は、家内の意志を尊重し、その願いを叶えることができるよう努めました。家内が生きがいを見出し、感謝の気持ちを持ちながら最期の時間を過ごすことができたことは、私にとっても意義深い経験でした。

映画のラストのシーンについてもちょと私には違和感があります。
患者が死を望んでいるにもかかわらず、医者の立場を持つ娘が適切な態度を見つけられないまま終わってしまったように感じました。これは観る者に自ら考えさせる意図があったのでしょうか?

日本の医療現場では、患者の命を最優先に考えることが重要ですが、安楽死や尊厳死についても考察に値するのではないでしょうか?
これらの問題に対しても、理解を深めるためにさまざまな情報を取り入れ、今後の私自身の考えを形成していきたいと思っています。

最後に

 私の在宅医療の実体験と映画の印象を通じて、自宅での看取りの意義や難しさを痛感いたしました。また、家内の最期に関わる安楽死や尊厳死に対する考察も多少示すことができたのではないでしょうか。


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