魔がヒもの 壱

 夏の日差しが攻撃的な7月下旬。待ちに待った夏休みが始まった。



 物心ついた時から,俺は雑多なビルが建ち並ぶ所謂“都会”で暮らしていた。幼少期の何年かは田舎に住んでいたそうだが,親父の転勤により故郷を離れることになったらしい。よくある話だ。俺には故郷の記憶は欠片も残ってないのだが,母が言うには“田舎のおばあちゃん家”を具現化したような場所らしい。何ともシンプルでありがたい。
 中学の時に田舎へ引っ越した悪友からは,高校生になった今でも頻繁にメールを受ける。「やっぱり都会がいい」だの「田舎マジつまんねぇ」だのといった愚痴にまみれたメッセージ。俺はそのたびに思う。ふざけんなと。俺にとって都会とはもはや牢にしか感じない。鉄格子と灰色のビルが違うだけだ。見回せば人。人。人。アニメや漫画で見る瑞々しい草むらや果てのない空なんて見たことがない。つまんねぇで何より。俺にとっては田舎への引っ越しなんて羨ましい限りだ。高校一年に上がってから,俺の“田舎”に対する憧れは強まるばかりだった。
 ──のだが。
 5月のゴールデンウィークに,遂に母が言ったのだ。
「秀二。夏休みになったら実家に帰るよ」
 突然の言葉に,俺は理由云々よりも先に飛び跳ねて喜んだ。長く夢見ていた田舎。見渡す限りの大自然。そして今時の高校生にしては珍しいらしい,手紙でしかやり取りをしたことがない祖母。俺の夢と期待は爆発せんばかりに膨らむばかりだ。
 翌日,何故今になって田舎へ赴くことになったのか母に尋ねた。これまで母から両親についての話を聞いたことはほぼない。子供ながらに何か確執でもあるのかと思ってはいたが,半分正解,プラスアルファといった返答を貰った。母と両親は折り合いが悪く,早く家を出たかった。親父の転勤が決まったときは丁度昨日の俺みたいに喜んだものだと言っていた。それに,俺が高校生になった節目としてさすがに顔くらい見せるべきだろうと考えたとも。
 質問に答える母の口調は飄々としていたが,その目は珍しく下を向いていた。
 それだけで,薄暗い不安が,田舎への膨れ上がった期待を小さく刺した気がした。

 新幹線を翌日に控えた夜,夢を見た。

 ──逢魔が時,“×××××××”の視線に立ってはいけないよ。
 ──××××××××からね。

 暗闇の四方八方から響く,聞き覚えのないしわがれ声。どこか懐かしい。
 所々にノイズを含んだその言葉は,俺の周囲を這うように何度も何度も繰り返される。
 俺はあまりの恐怖に飛び起きた。
 夏の夜だというのに,背中が冷たい汗で濡れていた──。

 

★続く