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【昭和のあるある】思い出日記

【昭和の上下関係(高校編その1)】

さて、中学校時代の昭和族は「校内暴力」「不良」「暴走族」など今では懐かしいワードが出てきました。
「腐ったみかんの方程式」など金八先生で話題となった言葉もありました。
おそらく平成族ではわからないかもしれませんが。。。
では、高校での私の生活は・・・?

確かに、人生の中で一番熱心に学業に励んだ時期でした。
加えていうと、私の運動能力は非常に高かったため、いわゆる
スポーツ推薦もあり、念願の高校に入学できました。

入学すると、すぐに推薦されたラグビー部に入部。これが私のその後の人生を
大きく左右します。
初めてラグビー部の監督に会ったのは忘れもしない中学3年生の12月27日。
それから私は「ラグビーってどんなスポーツ?」とゆうことで、お正月の
「全国高校ラグビー大会」を見て予習。
「え〜っ!こんな痛そうなスポーツなの?」というぐらいハードで思わず入学すら躊躇ってしまうような気持ちでした。
案の定、4月の入学とともに「仮入部」。この時は先輩たちも優しく接してくれ、何となくやっていけそうな気もしていました。
ところが・・・
5月になると「本入部届」を提出することになり、その届を出した瞬間に先輩たちの態度は一変!
「1年生はゴミなんだ。ゴミは何も話さないだろ?2年は人間、3年生は(神)
なんだ。神様とは誰も話せないんだから、聞かれたことに(はい)とだけ答えろ!」というと〜っても理不尽な生活が始まることに。
この「本入部届」を提出した1年生は47名。つまり、私を除く46名が
運命共同体となったのです。
ちなみに私の高校はその頃巷で流行っていた『中ラン、長ラン、ドカンにボンタン』などのツッパリスタイルとは無縁で、むしろそういうスタイルは恥ずかしいという風潮でもありました。加えていうと私たちの同期で最終的に3年生の引退まで残ったのは16名。生存率34%ということになります。
毎日の筋トレと雑用。毎日練習後に上級生からダメ出しを受け、遅刻や声出しが
できていなかったり、ボールがきれいに磨かれていないなどの粗相を働けば
「シゴキ」のカウントダウンが待っていました。
シゴキについてどの程度か?というに敢えて答えるのであれば、
失神者が出るぐらい。とだけお伝えします。
中学校を卒業したばかりの少年たちが初めて感じた『地獄』です。
私も「これが地獄というものなのか?」と思いながらシゴかれていました。

平成中盤から令和の現代では完全にアウト!ですね。
ただし、私の高校のラグビー部は伝統的に3年生が引退すると2年生と1年生は
基本的な礼儀礼節は保ちながらもフラットに近い付き合いになります。
ですので、上級生と一緒に練習後に喫茶店に行ったり、ご飯を食べに行くことも
多かったのです。
先輩とは今でも仲が良く、今でも一緒に飲みに行くこともあります。

高校生の頃、よく行ったところは「アンナミラーズ」。スカートの短いお姉さんを
見ながら食べる「パイ」はとても美味しく、ラグビー部の仲間とよく行ったもの
です。
私の学校では3年生になると水曜日の午後は自主選択授業だったため、選択しない
ラグビー部の面々は午前中の授業終了後ダッシュで渋谷へ!
目指すは「シェーキーズ」の食べ放題。出てくるピザを速攻で平らげ、
次に出てくるピザを待ち受ける!
「ラグビー部の人間はこんなに食べるの?」というぐらい。一般のお客様に
どれだけご迷惑をかけたことか・・・。
そして、電車に乗って高校へ戻り練習。やたら大変で、やたらと楽しい
3年間でした。
この地獄の運命共同体というのは高校卒業後40年弱ですが今でも仲が非常に良いものです。

【昭和の上下関係(高校編その2)】

へつづく・・・。

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