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audiot909 『JAPANESE AMAPIANO』(2023) 感想レビュー - カルチャーの呼応

audiot909がファーストフルアルバムを完成させた。

その経歴はtunecoreに詳しいが、彼は南アフリカで興った「Amapiano」に感銘を受け、日本での普及に取り組む第一人者である。

本作は音楽性の高さもさることながら、その表現姿勢も素晴らしい1枚だ。ここには普及だけでなく、「カルチャーを広げ、育むこと」の実践がある。

前段でキーワードを踏まえ、アルバムを見ていきたい。

前段

■「Amapiano」とは?

まずは「Amapiano」(アマピアノ)と呼ばれる音楽を知っているだろうか。自分は数年前まで知らなかった。1980年代半ばにデトロイトテクノが始動したように、1990年こえて2010年代にシカゴからJuke / Footworkが、2010年代には南アフリカからGqomが、そして2020年前後からは同地からAmapianoが広がっている。例えばこんな音楽だ。

主な特徴は、Log Drumと呼ばれるシンセによるキックと見紛うほど強烈なベース、そして16分のシェイカーだ。自分のように門外漢からこの音楽に振れる人もいると思うので、素朴な印象も添えておこう。

いわゆる「4つ打ち」は規則的なキックがリズムの"土台のノリ"を強固に形成し、そこに上モノが絡みあう。それに対して「Amapiano」では、まず上モノに近いシェイカーが"空間のノリ"を形成し、キックやベースはよりフリーフォームに打刻される。そんな"下"のリズムの自由さにスリリングな魅力がある……そんな風に感じている。

ともかく上の楽曲を2:00くらいから聞けばわかるのは「一見チルいが全くチルくない強靭なリズムがあり、浮き出るようなベースラインとかめっちゃカッコイイ」その所感だ。その音楽は日進月歩に各国で進化し続けている。詳しくは専門の記事を参照しよう。


■カルチャーを広げ・育む?

次に、なんとなく「カルチャーを広げ・育む」なんて書いたが、これは具体的にどういう行為を指すだろうか。大事なところなので、本題へ入る前にすこし考えておきたい。

そもそも「カルチャー」とは、個々人の表現(広い意味)が沢山集まって紐づけられたものだ。集めて紐づけることは「ミックス」と呼んでみよう。

この記事ではまず、"カルチャー = 個々人の表現のミックス"とする。

次に「広げ・育む」について。『中世の覚醒』という書籍にこんなエピソードがある。中世のキリスト教信者が、数百年前に書かれたアリストテレスの哲学書に魅せられて、その普及に務めたさいの話だ。彼らはまず、アリストテレスの文章を真摯に翻訳した。そしてその哲学観と自身の宗教観が微妙に異なることに葛藤し、その果てで、自身の解釈による注解と改訂を追加した新しい本を出版することにしたのだ。著者はその取り組みを「まさに文化と文化を媒介する事業」と評している。

ここには「翻訳・解釈(≒創作)」の2ステップがある。正しく翻訳するには知識と技術がいる。解釈と創作には内省と創造力がいる。これは正にカルチャーを「広げ・育む」と対応する行為だろう。

個々人の「表現」のミックスとしてカルチャーがあり、それは「翻訳・解釈(≒創作)」することで広げ・育まれる。

この記事ではそんな感じとしよう。
前段が長くなったが、キーワードは揃った。

そうした概念が詰まっているのが、本作『JAPANESE AMAPIANO』なのだ。


『JAPANESE AMAPIANO』感想

これは挑戦的なタイトルだ。語弊を招いたり、ある種の責任も負わされかねないが、正しく「日本のアマピアノ」のアルバムだと感じられる。


■"J"流アマピアノとしての解釈(創作)

リードトラックである『RAT-TAT-TAT』を聴いてみよう。

まず20秒あたりから入ってくる、下腹部をアッパーでグリグリ押しこむようなLog Drum(ベース)がカッコイイ。そしてたった4分弱の楽曲にもかかわらず飽きさせない工夫と作りこみが光っている。フックやヴァースのパート単位で見ても、1番と2番では裏打ちハイハットの抜き差しが行われていたりと展開が多彩で、Amapianoのリズム解釈の自由さを存分に味わえる。このかなり自由度が高いトラックを渡されて「やっとけ最強 My spot bites on 才能 放つRAT-TAT-TAT」の語感を乗せられるfeat. あっこゴリラの言語運動神経にも舌を巻く。

日本語のラップはもとより、トラックの細かな展開にも"J"の流儀による解釈を感じる。「日本のアマピアノ」だ。


■ミックスの先にあるもの

本作はさまざまなミックスの集合体である。南アフリカ起源のAmapianoカルチャーと、アジアの一角たる日本の音楽カルチャーの邂逅。audiot909氏とゲストボーカルという、音楽家としての互いの表現スタイルの交錯。アルバムとしても、ハウスと歌ものがまばらに並んでいる※2。

その結晶が、TOMCとDos Monosの荘子itとのコラボ作『The Out of Africa Hypothesis』だ。荘子itによる「ぼくたちは見たことのないキメラを産むだろう」、「北京原人ベルリン壁崩壊 国境繋がり世界と命が消えてなくなる前に遊ぶ 弄ぶよりも遊ぶ」のラインが、本作を言い当てているようで強く印象に残る。特に「弄ぶよりも遊ぶ」が端的で良い言葉だと思う。

sus4を基調とした荘厳な響きと一本立ちした楽曲世界観に、自分は「見知らぬ国の聖歌」のように感じたが、そのあと告知されたパーティの企画名が「Hyper Nation」だった。これはきっと「国ごとのカルチャーをリスペクトしつつ、その枠をまたいでミックスしあうことで、何かもっと大きな括りとしてのNationに!」そんな意味あいと勝手に解釈している。それはグルーヴの名の下に仮想国家を打ち立てようとした、Funkadelic『ONE NATION UNDER A GROOVE』のように。


本作は南アフリカのカルチャーたるAmapianoの翻訳・解釈であり、同時に日本側のカルチャー(表現のミックス)による応答でもある。そんな作品を名づけるならやはりこうなるんじゃないだろうか。『JAPANESE AMAPIANO』。

そして更に言えば、本作は「もっとカオスにミックスしあっていこう」という宣誓でもあるだろう。このネーションはきっと、"遊び"に来るものを誰も拒まない※3。

最後にもうひとつ引こう。音楽評論家、相倉久人は1950 - 60年代における激動のジャズシーンをリアルタイムで過ごす中でこう結論付けた。

あらゆる文化に本来的な"ピュア"な状態はありえない。むしろ異文化同士の予測不可能なぶつかり合いにこそ意味があり、それを読み解くことが鍵となる。

相倉久人『ジャズ著作大全(上)』※4

本作はまさにその、"異文化同士の予測不可能なぶつかり合い"だ。

南アフリカに端を発するカルチャーの種は日本にも蒔かれた。その芽はこれからどうなっていくだろうか?そのひとつのマイルストーンが本作であり、どうなっていくかは──ぜひともリアルタイムで見届けよう。Amapianoはクラブの箱での鳴りでこそ真価を発揮するらしい。本盤、そしてリリースパーティ。必聴です。


注釈

※1. audiot909、「オーディオットナインオーナイン」と読む、らしい。長い……。
※2. 書きたいことの都合上歌もの2曲を取り上げましたが、「Trip」の後半部とか「Far Away As The Stars」もLOVEです。
※3. もちろん、「弄ぶ」ひとは資格を持たない。
※4. 相倉久人『ジャズ著作大全(上)』の「まえがき」参照。


関連作

関連作を挙げられるほど詳しくないので氏のミックスを置こう。前作を聴きなおすのも発見があるし、本アルバムでは『Willy Nilly』が未収録となっているのでこちらも要チェックだ。


クレジット

本盤には2024年現在フィジカルリリースがまだない(遠回しな希求)。歌詞カードの末尾のように、bandcampのクレジットに各位の活動に紐づくリンク先を独断で添えてこの記事を終えよう。

Music:audiot909
M4 audiot909 & PIANO FLAVA
M8 audiot909 & KΣITO
M9 audiot909 & TOMC

Mixing:audiot909
Mastering:So Kobayashi
Artwork:Takara Ohashi ※見つけられなかったので他関連作

Lyric:
あっこゴリラ
QN
CHIYORI
MORI
荘子it

サポートがあると更新頻度が上がります。