◎わたしは花束みたいな恋をしてきただろうか
普段はジャニーズのことしか書かないのだけれど、どうしても書きたくて、思い(想い)を言葉にしたくて、文字に起こそうと思う。
映画『花束みたいな恋をした』を先日観に行った。
(ネタバレ等、自衛してくださいね。)
番宣などで見かけていないのに、周りの反響がすごくよくて。
話題作なんだろうな~と思っていたのだけれど、
映画館に行ったら席が人で埋まってて。
公開されてからだいぶ経つと思うのだけれど。
観に行こうと思ったのは、観に行ってる人が多いというのと
親友が原作を読んで感想を送ってきてくれたからというのもある。
夫がエヴァ2回目を観に行くというので、それじゃあ、わたしはこの映画を。というような感じで。
話題作なのでいろんな方がレビューや考察をしているからもちろん共感に対する賛否両論があるのは当然のことだと思う。だけど、何時間経っても、何日経っても頭の中に残っているシーンがたくさんある。現に今も離れない。
わたしと同世代のとある恋人の話なのだけれど、大学生の恋愛あるあるとか、大学生からフリーター、正社員になった時の人生の考え方とか価値観の変化、恋愛から結婚への意識の変化、全部リアルで自分と重なった。むしろこの主人公は自分なのでは?と思うくらい。
いや、シンプルに夫と観なくてよかったな、と。
有村架純が演じる絹と菅田将暉演じる麦の出会ってから別れるまでのお話。
ハッピーエンドかバッドエンドか問われると、映画を見終えた直後の感想であれば『バッドエンド』と答えるだろうな。今は、あのまま、なあなあな関係でダラダラと関係を続けていてもお互いの思う結婚生活は送れなかっただろうなと思うし、ふたりのことを思うと『ハッピーエンド』なのかな、と。
絹も麦も出会ってから付き合ってうまくいってるときは『運命』とかあるって思っていたんだろうな。
趣味や興味のあるものも同じで価値観も同じ。
まったく同じ人間なんていないとわかっていても
あの年代の恋愛ならわたしは『この出会いは運命♡』なんて思っているに違いない。
絹の恋愛観は結婚する前のわたしとよく似ている(気がする)。
今なら麦の考えもよくわかるよ。
大学卒業して。フリーターして。麦は正社員になって。
わたしと夫は同じ学年ではあったが、わたしが短大卒で夫は大学院卒。
わたしが正社員で死にかけになりながら働いているとき、
夫は学生だった(大変そうではあった)。
ライフステージが変わると価値観やものの見方が変わるのは仕方のないことだ。それもひとつの成長だと思う。それを味わってきた身だからこそ、この映画の麦の変化や絹の変わらないところに心が締め付けられた。めちゃくちゃリアルだった。
一緒にいるために何かを我慢しなければならない。
というのは、わたしは事実だと思う。
お互いが何一つ不自由なく生活しているようにみえて、意外と小さな我慢はたくさんしていると思う。
だって、相手は自分とまったく同じ人間なわけがないから。
ある程度の妥協ってものが時には必要で。
それが麦にとって、趣味だった。
絹にはそれが考えられなかったんだよね。
仕事がプライベートを支配してくる感じもリアルだった。
承認欲求って少なからず誰もが持っていると思っていて、
それを満たす対象が、麦は仕事、絹は麦、だった。それだけ。
絹は少しの違和感に敏感だったように思う。
その違和感が確信に近づくにつれて、麦に対してどこかあきらめのような気持ちもあったのでは、と。
月日が経って、周りが結婚しだして、ある程度の収入もあって同棲してるんだから、もちろん結婚だって意識するでしょう。どこか焦りの気持ちも芽生え始める。
結婚の話になったときに、絹が「3ヶ月もセックスしてない相手と結婚するのか」みたいなことを心の中で思っていたけど、絹はこの時点で麦の感情の変化に気づいてた。絹はさみしかったんだろうな。自分の話に共感すらしてくれなくなって。
コミュニケーション、共感、って大事だなとめちゃくちゃ思う。
結局この二人はコミュニケーション不足みたいなところはあったと思う。
友だちのお葬式の日のすれ違い方も。
男女間でのもともとの価値観の違いみたいなものはあるだろうけどさ。
報連相って仕事に限らず大事だなと。
転職のことも、亡くなったお友だちのお話も。
(もちろん話しかけやすい雰囲気も大事だけど。)
この二人は共通の友人の結婚式の日に別れる。
友だちの結婚式の日に別れるってどうなのよ、とは思うけど。
おめでたい日なのになあ。
二次会に行かず、思い出の場所に二人で行って。楽しんで。
きれいごとばかり並べて現実味はないけど。
最後はファミレスで別れ話。
麦はそれでも一緒にいたい、結婚しよう。
なんて言うけど、絹は冷静に、
今日が楽しかったからそう思うだけで明日から同じことの繰り返しだよ。
って。
絹のその一言はわたしが麦に言いたいことのそのままだった。
あの時、絹が麦にお花の名前を教えてあげなかったのは、絹は永遠というものを信じてなかったからなのかな。思い出してほしくなかったのかな。別れることも視野にあったのかな。
花束みたいな恋をした、ってどういう意味なのかな。
わたしは花束になるような恋愛はしてきたのかな。
…花束にはならないような気がする(苦笑)
なんて、自然に過去を振り返ってしまうような映画でした。
ちなみにわたしは元カレに会っても知らんふりするタイプなので
あんなさらっと手を振ることはないと思います。
過去って消えてくれればいいのにね。なんてね。
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