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100点じゃなくても

私の親友が東大に合格したらしい。わけあって数年遅れての入学だけど。そもそも親友って言っていいのか。親友だった、の方が正しいかもしれない。

小学生の頃からサバサバしていて真っ直ぐで芯のある子だった。よく動いてよく笑う子だったから男の子からすごくモテていた。好きな人誰?って聞いて、その子の名前を出したら3人に1人くらいの確率で当たる感じ。

高校の時はたまに連絡を取ったりご飯に行ったりしていたけれど、最近はずっと会っていないし連絡も取っていない。
なんというか、ずっとその子に対して劣等感を抱いているのだ。私とは真逆の性格で可愛くてキラキラしたあの子が羨ましかった。

  
ここで一旦立ち止って考えたい。私は何に対して羨ましいと思っているのか。性格も容姿も勉強もすべて100点満点に思えることか。その100点満点が私にあったら、私はもっと幸せだったのだろうか。少し前だったら絶対そうだと言いきれた。どう考えても100点を取らなければ意味が無いと思っていた。でも今の私は少し違う。

100点満点は私の幸せを約束しない、そう思うのだ。親友のあの子が幸せかどうかは関係ない。性格も容姿も勉強も到底100点には届かないけれど、私はこの人生が楽しいと思えている。

恩人のような存在の人が私に言ってくれた言葉がある。

「100点を取ろうとしなくていい」

これは入試の時に言われた言葉だけど、生きていく上でもものすごく大事だと思っている。もう少しわかりやすく言おう。入試で必要なのは志望校のボーダーラインより上の点数を取ることだった。でも私はそれを勘違いして100点を取らなければいけないと思い込んでいたのだ。だから模試でどれだけ点数が上がっても間違えた問題があるだけで私は失敗だと思っていた。でもそうじゃない。間違えたとしても今の実力を出し切ること、そしてそれがボーダーを超えることが重要なのだ。

話がそれたけど何が言いたいかというと、他人から見て100点の人生を目指そうとしなくていい、ということだ。何か大きな決断をする時に人の意見を気にしてしまうことがある。こっちに進んだらどう思われるだろう、と。でもそれは不要な悩みだと思うのだ。
大事なのは私にとって満足できる人生。今楽しく笑えているのならそれで十分だと思う。それに加えて何か一つでも夢を持っていたりしたらそれは最高に素晴らしい。だからね、私は私の好きな方を選んでいいんだよ。自由に。

何にも縛られず、前を向いて。

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