見出し画像

2023 to 2024

毎年、1年を振り返り、次の年の抱負を書いているので、今年もやっていきたい。去年に書いたnoteを見返してみたが、こんなこと書いていたのかと感心させられることもある。この時に書いた内容は、この時にしか書けなかったことだと思うので、やはり言語化は重要だと考えている。この時に書いた内容は以下。

  • 感情をコントロールする

  • 自分の正しさを通す

  • 何がなんでも成果を出す

1年経って思うことは、確かにこれらを意識して生活をしてきたと思う。特に「感情をコントロールする」は意識的にしてきた部分もあるが、改善点も山積していると思われる。さて、1年を振り返っていきたい。


ひたすら内省をした

このnoteでも書いたのだが、ひたすら内省をする1年だった。これまでも内省はしてきているが、それを言語化した。言語化を通して、ふわっとした部分の思考が具体的になるし、普段は実はしていなかった深く自分の感情にダイブしていくことは非常に良い体験だった。

内省をする時に意識したことは「明日の自分でも同じ意思決定をするか?」ということだ。この問いにyesと答えられるなら、自分は自分の信念に従って意思決定できたと思うし、noなら何か感情に流されて意思決定してまった時だと考えている。これは他者から見て正しいか、正しくないかではなく、自分の中で正しいか、正しくないかを見極める尺度だ。ここが非常に重要で、他者から見た正しさなんて、人ごとに違うわけで、それに振りまわせて生きてしまうと、それは他人の人生を生きていることになる。しかしながら、ほとんどの人が違うというならば、それは自分が偏った考え方をしている時なので、自分自身をupdateする必要があると思われる。しかし、それがきっかけでも自分を変えないということもまた大事。

そういう内省を繰り返すことで「明日の自分でも同じ意思決定をするか?」という視点で常に自分を客観視することができるようになったし、感情に振り回されず、意思決定することができたと思う。しかしながら、それでもまだ改善点ばかりなので、引き続きやっていくしかない。

もう一点意識したことは、自分の中の違和感をとことん深掘りするということ。何かトラブルが起きたとき、結局のところ自分に何か問題があったわけで、それがなぜ生じたのかを、包み隠すことなく自分の中で言語化してきた。それは、自分の傲慢な感情だったり、怠惰な感情だったり、負の面が多いのだが、そういうものに蓋をせず、ちゃんと言語化できたのは非常に収穫だった。

人生の優先度が変わった

2023年の変化として、娘の成長がある。まず、春に保育園が始まったのと、成長に伴い、いわゆる幼児食を用意する必要があったり、歩いたり、意思を持つようになった。この結果として、娘が生まれる前とは時間の使い方が大きく変わった。

朝から働き、娘のご飯をサポートして、仕事をして、夕方保育園に向かいにいき、夕飯、お風呂としてから、再度リモートで働き、10時に業務が終わり、家事を1時間くらいして、お風呂に入り、寝る、みたいな生活をひたすら続けている。この生活が始まった時の自分は、元の生活に追加する形で完璧にこなそうとしてしまった。その結果として、1ヶ月もしないうちに体が悲鳴をあげて、体調が著しく悪るかった。その経験を通して、人生は何を大事にするかという優先度をつける必要があって、これは諦めるということと性質が異なると思った。1日は24時間しかないし、自分以外の要因の不確実性も非常に多いので、思い通りになるとは限らない。その中で「ま、いっか」と思えることが増えた。物事に対する寛容度をあげないと生きていけないと悟ったことは、自分の中では非常に重要で、それは他者に対して「そういう時もあるよね」と思えることで、自分は自分で他人は他人という線引きが明確にできたと思われる。

また、余裕な時間が少ないと生じることが、この時間の中でどうにか終わらせようと頭が働くことがわかった。つまり、夏休みの宿題のように、人間は終わりが決まっている方が、時間を有効に使う作用が働く。これは一種のストレスがかかっているが、これが日常になると、時間の使い方が効率的になる。というのは、この1時間で終わらせないと娘との時間があるので無理、という状況において、wantではなくmustをどうにかして終わらせる、そのためにどうすべきか?をひたすら考えることに繋がる。この訓練は、実は時間がある独身あるいは子供がいない時にはどうしても働きづらく、あとでやればいいやとか、で実際やらないということになってしまう。

その結果として、1週間余裕がほとんどない人が続いても、なんとか10分とか、30分の時間をコンスタントに取ることができて、サイドプロジェクトを進めることができた。

ここ数年の中で、一番時間をちゃんと取れたと思われる。これは、仕事、育児、家事で時間がないが故に、意識的に時間を取ろうとしていたことと、だいたい23:30くらいからコードを書き弾けることが習慣化していたからだと思われる。自己認知的には、自分はルーティン化できると継続できる傾向があり、部活や勉強はそれが故に継続できていたが、継続できなかったものは結局、やる気の問題にしてしまっていたと思う。

この習慣ができたことで、正直他のことはほとんどできなかったが、自分としてはしっかりと仕事をした上で、サイドプロジェクトでプロダクトをリリースできた。この習慣ができたことは自分にとってかなり大きかった。

覚悟を決めた

先のnoteで書いたように「プロダクトを創り続ける覚悟」をした。今まで、毎年何かしらのプロダクトをリリースしては、それっきりになってしまっていた。これは様々な課題があるが、そもそも創り続ける覚悟を持てていなかったことが大きな原因だと思われる。

正直、今開発しているプロダクトが今の形のままであることはあり得ないと思っている。プロダクトはユーザーと共に、成長、変化していくのが常である。しかしながら、ユーザー、つまり僕ら人間はテクノロジーが進化してきたこの30年とかの間では不偏的だと思われる。人間、動物が目に見えて進化するには時間スケールを長くして見る必要がある。人間が社会生活を営む上での本質が変わっていないとすると、それらを解決するプロダクトの在り方は技術の発展とともに収斂してくる可能性が高い。その中で、生き残るためには、それなりに仕組みと覚悟が必要だと考えている。それなりの仕組みというのは、事業の持続性であり、ずっとしぶとく続けることが重要だと思われる。この時、何が競合優位になるかを考えなければならない。競合優位がデータの蓄積に大きくある場合は、データを多くもっている、加えてそれを有効に使えるソフトウェアを持っていることが重要だが、競合優位性がスフとウェアの積み上げにある場合は、しぶとく積み上げ続けられたものが勝つ。これは、時間スケール的に一気に開発リソースを追加したら勝てるのではなく、ユーザーの在り方とともに変化を続けることができたプロダクトだけが生き残る。これは機能的な側面もあるが、やはりそれを作るチームの考え方、それまでの文脈に大きく依存するものと捉えている。

僕の戦略としては、個人がしぶとく続ければ勝てる領域でソフトウェアを積み上げ続け、最小限の運営コストで運営し、ユーザーの声を反映つづけることと、自分がユーザーの第一人者になれる課題に限定したという制約を課している。これが良いのか悪いのか正直、未来になってみないとわからない。「最強の教養 不確実性超入門」によれば、未来は誰にも予測ができない。できることは、不確実性が低いことと不確実性が高いことのバランスを保ちつつ、不確実性が高い事象の変化を観測して、良さそうならそっちにリソースをぶっ込むという方法しかない。そのため、化たらでかいことを何かしら用意しておく必要があり、それが自分にとって新しいプロダクトを創ることだった。この選択を正解にするために、自分ができることを全力でやるしかない。

2024年の抱負

2023年の下記目標は引き続き、やっていきたいと思うが

  • 感情をコントロールする

  • 自分の正しさを通す

  • 何がなんでも成果を出す

新たに、3つの目標を掲げてみる。

  • 愚直に続ける勇気を持つ

  • 志を常に高くする

  • 内省を呼吸する様にする

愚直に続ける勇気を持つ

"勇気"という言葉をあえてつけてみた。これは名著「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え」にある"勇気"を持つということを意味していて、愚直に続けるための障壁は至るところにある。

もちろん、周りから「何をやっているんだ?」と思われるかもしれないし、自分自身が「なんでこれやっているんだっけ?」と自問してしまうことも多いと思うが、その際には初心に常に還り、考えることが大切だと思っている。つまるところ、何かプロダクトを創ろうとなった時に、最初はよかったけれど、プロダクトが成熟したり、長い成長の踊り場になった時にはなんでこれをやっているのかというビジョンが非常に重要になってくる。その差分がプロダクトに如実に表れてくる。そういう中で、腐ることなく、心が折れることなく続けることは非常に困難である一方で、それを再現性高く乗り越えられた時に見えるプロダクトの真価というのは計り知れないと思っている。

結局、生きることの中に自分が成し遂げたいことをするのか、他者のそれに乗るのかと考えた時に、自分は自分の信念を貫きたいと考えて、それは生き方なんだと落ちてきた。これは間違った思考かもしれないが、それが間違っているということなんて、自分次第でしかない。それが賢くない生き方だったとしても、それはもう仕方がないことなんだと思う。と、いうことを常に忘れてはいけないと強く思ったのと、それを正解にできるのは他ならない自分しかいない。

志を常に高くする

おそらく、これでいいんだとか思うとそれ以上のモノはできあがらないと思うし、時間を投資するのに勿体無い。適切に考えるべきは時間スケールの方で、10年後に特定領域においてグローバルで最も使われているプロダクトを今から積み上げる、くらいに考える方が良いと思われる。この時、かなり抽象度をあげてしまうと、やることがブレまくってしまうので、常に志は高くするのだが、抽象度が高くせずにいたい。

今までの自分は、とりあえず成長したいとか、大きくことをやりたいとか考えてしまいがちであったが、心が躍るのはむしろ自分を突き通していて、かつ志高く、成長に対して貪欲な人たちだった。何をしているかというもよりも、このスタンス自体が自分が在りたい姿なんだと思う。この時、他者との比較ではなく、今の自分を昨日、去年の自分よりも成長させたいというアクションが重要で、曖昧にせずに向かい続けたいと思っている。

内省を呼吸する様にする

2023年はひたすら内省をしていた。特に言語化に取り組んでいた。2024年も内省をしていきたいのだが、もちろん言語化はするが、呼吸をするように、常に内省をするスタンスでいたい。日々の自分の言動の中で、あれはもっとこうすべきだったのではないか、あの発言はもっとこうすべきだったのではないかという具合に向き合っていきたい。

また、どうすべきだったのかということも大事なのだが、なんでそういう言動が自分から生じたのかという潜在的な心理にも着目したい。あ、そうか、自分はこういうことに憤りを感じるのかとか、自分はこういう場面では思考をサボってしまうのかとか、そういうクセに気がつくことで、自分をどんな場面でも最大のパフォーマンスが出せるようにしたい。加えて、それを日常生活の至るところで実践をしていきたいと思っている。仕事と私ごとを区別するのではなく、それぞれが自分であるという前提で、自分をコントロールできることが2024年の目標にしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?