2020年3月16日 -合理的なアホ、こと自分

 自分は勉強を小学からチマチマやってきたけど、それは毎日毎日のミクロな作業で。ある時、なんかの模試を受けた時に自分の全国の位置を知って衝撃を受けた。自分の中で完結していたものが、全国の他人と初めて相対評価された瞬間であって、自分というものの位置をマクロで意識した瞬間だった。

 中学受験をして、中学に入学した。そこでもたびたび模試を受けたけど、順位を気にしすぎるといけなかった。俯瞰してばかりだと目の前のことが疎かになる。ミクロの作業がマクロに繋がるという意識が薄れて、なにをするにも他人との比較がまず先になってしまった。

 わたしは合理的だった。それでいて馬鹿だった。少しでも「あ、これ他人と比べてできてないな」と思ったものに次々と見切りをつけていった。スポーツ系の部活動に打ち込む同級生を理解できなかった。プロになるわけでもないんだから、体力も時間も使ってまでやる意味ある?と思った。

 でも彼らはプロになることに意義をもっていたわけではなかった。仲間と一緒にスポーツをする。協力しあって同じ目標に向かう。そういう毎日を積み重ねることに、価値があったんじゃないかなぁ。つまり相対的じゃなく、彼らの日常には絶対的な価値がそれぞれにあったんだ、と気づいたのは随分後になってからだった。

 羨ましかった。わたしはもう、なにをするにも誰かと比べてばかりなことに気付いた。そして今、自分の絶対的なものの価値が揺らいでいっている。そう思う。

 わたしももう一度、自分の絶対的な価値観を手に入れたい。世間的に見てどうかとかじゃなく、自分だけのミクロを積み重ねていたあの時に戻りたい。そう思う。おわり。オチなし。

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