なんなんだ -2021年10月21日

今日は愚痴です。(潔い)

考えれば考えるほど、人生の意味が分からんのだけど。自分、人生やりたいって言ってないんですけど?自己責任論も精神論も根性論も陰謀論も全部全部疲れたよ。みんなこんなこと考えながら生きてるの?違うよね。自己中な人間ほど世間一般で言う「幸せ」手に入れてるじゃん。たまらなく憎いんですけど。

と、まあ憎悪はさておき、自分なりの幸せとか自分なりの人生とか、マジで何?って感じなんだが。好きで生まれてきたわけじゃないのに、死ぬのは自分で決めないといけないの荷が重すぎる。Twitter見てたらこんな人がいっぱいいる。みんな疲れてる。よくわかんないまま生まれてきて、生きている。

ショーペンハウアーの著書「幸福について」では、幸福の定義について

生きていないよりは断然ましだと言えるような生活のことである、とでも定義するのが精一杯であろう。

と述べられている。まあ、これくらいじゃないとみんな不幸になっちゃうよな。幸せのハードルを極限まで下げると幸せな人って増えると思うんだけど、そうもいかない。と言うのは、幸せな人はそれが自分だけの特権であると信じたいし、下がいると安心する。また、不幸な人は理想が高いので、「これくらいでは幸せではない。」というプライドもあって自分の幸せを認められない。なんだかこれって表裏一体だと思うんだけど。

「今のままでは到底満足できない」と思う気持ちは大事で、そうじゃないと人間は成長できないと思う。けれど、この考えに首を締められて亡くなってしまう人がどれだけ後を絶たないか。努力は裏切らないが、間違った努力は簡単に人を裏切る、と誰かに聞いた事がある。(大学の教授だったっけ?)とにかく激しく乾き、求めることは生命のエネルギーを生むが、同時に半端ない体力を使うのだと思う。そして、果てしない枯渇を埋められる結果が伴わないと、ただ体力を使い果てて疲れ切った自分が残る。ホストクラブなんかはこの典型なんじゃないだろうか?

水商売、なんてよく言った言葉だなあ。初めに言い始めた人すごいと思う。水のような実態のないもの、誰かの好意、名誉、それに伴うお金、朝になったら体内から消える酒、一晩のシャンパンタワー、愛のないセックス。正気を保つのは至難の技と言えるだろう。

しかし、人生は一度きりである。誰もが同じ道を歩むわけにはいかない。その仕事が存在するということは、更にお金が支払われるという事は、需要があるということを表す。

自分は正直、こういう界隈の人間を見るのが非常に好きである。ちゃんと空洞で安心する。

最近は人生のガタガタが少しましになってきたから、行動を起こしていきたい。美しい女の子になりたい。後、読んでいない本を全部読みたい。着れていない服を着たい。聴いていない音楽を全部聴きたい。全部時間がなさすぎる。人生って、なんて短いんだろう。


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