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「人はひとりでも生きられる」って証明したかった話

コロナ禍がはじまった頃、「自分という存在についての疑問」「人と人との関わりへの疑問」から、しばらく人間関係をお休みしたいと思うようになりました。

私は「人はひとりでも生きられる」ということを証明したかったのです。

だからコロナ禍に乳がんが見つかったのをキッカケに、本格的に「人付き合い」を最低限まで減らしてみることにしました。

コロナ感染も怖いし乳がんの治療も始まることで、人と会わない都合のいい理由ができてしまった。絶好のチャンス到来。人はひとりでも生きられるということを証明するなら今しかないと思いました。

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仮説:人はひとりでも生きられる
実験内容:人付き合いを最低限にして生きてみる
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結果:心が動かなくなり希望が消えて生きていたくなくなる(積極的に死にたいわけではない)

人付き合いを徹底的にやめてみると、最初は安らかな気持ちになりました。他人に振り回されることもないし、病気を免罪符に「人と会わない自分」に罪悪感を感じることもありませんでした。

けれど2年ほど経ったある日、突然心が動かなくなりました。何事にも希望が持てないのです。うつ状態を経験したことのある私には、これが「うつ」からくる感覚ではないと分かりました。

ですから理由がまったく思いつかないのです。ストレスがないはずなのに、こんな風になるのはおかしい!そうとしか思えませんでした。

もしかしたら更年期の症状かもしれないとも思い漢方を飲み続けてみたり、精神を安定させる薬を処方してもらったりもしましたが、まったく改善は見られませんでした。

考えに考えた末、私は「人はひとりでも生きられる」という仮説が間違っていたという結論に達しました。それ以外に理由が見当たらなかったのです。

【人間は弱い生き物である、だから動物では唯一「つながり」を持たなければ生きていけない生き物なのだ】と心理学の専門家から聞いたことがあります。

私はそれを覆したかった。けれど完全に私が間違っていたことを認めざるを得ませんでした。

結論として。人はひとりでは生きていけません。人とのつながりを持たずには生きていけません。現代社会の中では「生命の維持」はできるでしょう。だけど人間らしく生きるということはできません。認めます。

それでも人付き合いがもともと苦手な私としては、引きこもりや不登校といった状況にある人が、望むならばその状態で生きていける社会が好ましいと今でも思っています。

多くの人が「普通」「正しい」と信じている状態を、「それを普通と思わない人たち」に無理強いするのは嫌なのです。生き物としての尊厳が損なわれていると感じます。

私は「人はひとりでは生きていけない」と認めたけれど、それは私の感覚で私の結論であって、この世の中にはいろいろな感覚を持った人がいて、さまざまな考え方や結論が存在すると思っています。共生していくということは、そういったものをお互いが尊重しあっていくことだと思うのです。

どんな状況にあっても、その人が選択した生き方で生きていける社会が好ましい。マジョリティに合わせる必要はないと思うのです。

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