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日々これ鍛錬

最近、何かと物騒な事件が多い。

「死刑になりたいから人を殺したかった」とか「誰でもよかった」とか身勝手すぎる動機にただただ唖然とする。

「誰でもよかった」と言いつつ、実際は自分より弱そうに見える相手を選んでいるから、なおさら憎々しい。

私にはひとつ心に誓っていることがある。もし犯罪に遭遇しても絶対に背中を見せることだけはしない、ということだ。

いつも不思議に思うのが、どうして人は刃物や凶器を持つといきなり「命令できる者」と「言いなりにならざるをえない者」という立場が決まってしまうのだろう。凶器を持っているからという理由で、どうして私がその犯人の言う通りにしなければならないのだろう。

ドラマなどでも、犯人が刃物を持って自分の前に現れると「キャーッ!」と悲鳴を上げて背中を見せる。その瞬間に勝ち負けは決まってしまい、あとは犯人の思うつぼだ。

悲鳴を上げて背中を見せるのと、恐怖を感じているけど相手から目を離さないのと、どちらが生存率が高いのか考えてみると、私には後者だとしか思えない。

背中を見せて怯えて見せたら見逃してくれる犯人がいるのだろうか?私はそうは思わない。だって、悲鳴を上げて怯えることで犯人は興奮しさらに残虐になりそうだから。

だったら怖くても相手から目を離さない。凶器に加えて体力的に負けているようでも、一瞬の隙はあるかもしれない。でも目を離したらその隙も見えなくなる。

一番効果的なのは、笑うことかなとも思う。絶対に笑わないような状況で笑っている人をみたら、犯人も恐怖に近い感情を抱くのではないだろうか。何笑ってるんだ!と怒りを増幅させる結果になるかもしれないから、みなさんにはおススメしないけれど、私は笑ってみようとも思っている。

人を殴ることに慣れていない人は(ほとんどの人がそうだと思うが)力加減も殴り方も分からないから殴ることが怖いのだと聞いた。女性を狙う犯罪も多い中で、女性が抵抗できないのは殴り方や反撃の仕方を知らないからではないのか。小さい頃から女子の体育では自分の身の守り方くらい教えたらいいのにといつも思う。

こんなことを書いていても、実際そういう場面に居合わせたら恐怖ですくんで動けないかもしれないけれど、私は日々鍛錬を怠らないようにしている。もちろん想像の中で、だけれど。

あなたのお気持ちとコーヒー1杯で半日がんばれます! 私にエッセイを書き続けていくエネルギーをください!