見出し画像

「嫌いなものは嫌い」でいいじゃん

私にはこじらせてしまった人間関係がある。

モヤモヤを感じてすでに1年以上。折に触れては思い出し、イライラしている。

その気持ちはまるで右手の薬指にできた「ささくれ」みたい。普段は気にならないけど一旦その存在に気づくと、チクチク痛いくせに触るのを止められないところが似ている。

画像1

最近の世の中、嫌なこともポジティブに捉えるのが結果的には自分のためになるという考え方を良しとする風潮を感じる。

あの人にも事情があるから
あの人にも良いとことはある
今回はタイミングが合わなかった
あの人との人間関係は何かを学ぶためにある

・・・

それぞれ正論だけど自分の「嫌だ」という感情に蓋をしてしまうのはいかがなものだろう?

私は「嫌い」だという気持ちをハッキリ認識したい。嫌いな相手に実際伝えるかどうかは重要じゃない。

キライなものはキライ
ムカつくものはムカつく

良い子ぶらなくていい。嫌なものは嫌だ。そうしないといつまでもいつまでもモヤモヤが続く。

人を尊重したり人の気持ちを慮ったり、そういう心はもちろん大切。だけど「暗黒面」も私の心の一部。認めてあげないとその「暗黒面」はいつまでも葬り去れない。キッチリ認めて初めて供養できるものなのだと思う。

ちなみに私は最終的に嫌いな人を小舟に乗せ、黒い川に流した。もちろん想像の中でだけど。

あなたのお気持ちとコーヒー1杯で半日がんばれます! 私にエッセイを書き続けていくエネルギーをください!