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That is why I love Canada (完)

カナダでの様々な出会いや経験を経て、半年が経った夏頃には、
わたしは人目も気にせず、キャミソールに短パン、サングラスといった
カナディアンスタイルの服装にも馴染んでいた。

20年間ロングヘアーだった髪もばっさり切ってみた。

嫌なことにはNoと言えるようになり、
相手に悪いから、という理由で誘いに乗ることも少なくなった。

授業では必ず手を挙げて、拙い英語でも自分の気持ちを伝えて
分からないことはすぐに教授の部屋に聞きに行った。

バスに乗った時、隣の人が楽譜を読んでいると、
「あら素敵。音楽をやっているの?わたしもフルートをやっているの!」と
自ら話しかけるまでになっていた。

現地のヨガスクールにも通いはじめ、
横で屈強な男性が、指一本で逆立ちしているのを
「これはできんやろ…」と、三角座りで眺めることも。

毎朝起きる瞬間が不思議と一番ハッピーで
「今日も一日が始まるぞ!」とエネルギーに満ち溢れていた。

ここで、本題に戻るが、
わたしは一体なにを"手放せていた"のだろう。

手放したもの

・変だと思われたくないという他人の目を気にする気持ち
・こういなきゃいけない、こうあるべき、という価値観
・うまくできなきゃいけないというハードル
・失敗を恐れること
・自分なんて、という卑下する感覚


つまり、
・自分は自分で周りの目なんて気にしない
・なりたいものに、なんにだってなれる
・自分にも他人にも寛容な心
・何にも縛られず、すべては自分で決める
・心のむくままに
・下手でも失敗してもいいじゃんという精神
・ここにいるだけで尊い、自分には価値がある


結果的に、
自然とさまざまな価値観を手放していて、
身軽だったからこそ、やりたいことは何にでも挑戦できた。

お金は今よりなかったけれど、
自由な心で何にも縛られず、ただただ自由だった。

もちろんそれはカナダだからこそ、
先に述べた移民国家とかいう文化的背景にも後押しされつつ、
影響されやすいわたしは、周りに良い影響を受けて、より開放的になりやすかったのだろう。


その後、日本へ帰国し、就職活動をし、
わたしは社会人となり、今では息子を持つ母である。

大人になるにつれ、
いい意味でも、時には悪い意味でも、
守るべきもの、積み上げてきたもの、価値観などに
知らず知らずのうちに縛られ始める。


『手放すこと』
手放してもいいし、手放さなくてもいい。

だけど、少しずつ手放していくことで、
わたしはカナダにいた頃の心のときめきや
満ち溢れるハッピーエネルギーを
取り戻せるんじゃないか。
そう気付き、なんだか心がワクワクするのを感じた。

カナダでしか出来ない、なんてことはない。
きっとここ日本でも、カナダ風吹かして生きることが出来る。
新たな目標が出来た。

日本の文化的背景、そして自分の性格も考慮すると、
きっと日本の方がやりづらさはあるだろう。
だけど、それはそれで新たな挑戦であり、面白そうでもある。

きっと大切なのは、場所ではなく、自分のこころ。

そう気付かせてくれた、あべなるみさんの『手放し講座』にはもう一度拍手を送りたい。

そして、手放したいなぁと思ったとき、
そんな時に、心地よかった時代や生きやすかった時代、
過去の自分がヒントをくれるのかもしれない。

(完)




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