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4コマ漫画「思ったようにうまくいかない」と転生について

「転生したらスライムだった件」が最初なのかどうか、そこまではわからない。あまりラノベを読まない私でも「転戦したらなんとかだった件」のようなタイトルの作品がいくつもあることは、なんとなく知っている。いや実は、ラノベでなく漫画からなのだろうか。いずれにしても「転生したら」作品が多く存在しているのは間違いないはずだ。

そもそも、この「転生したら」ブームはいつからなのだろう。すでに一過性のブームとはいえないくらい定着しているようにも思える。ブームなのか、ブームでないのかの判断はさておき、少し気になっていることがある。

それは、この「転生」流行りは、その背景に(主に)若者のcが隠れているのではないかということ。この意見は目新しいものではないかもしれないし、「転生したら」作品が広く受け入れられていることは「現世への諦め」が可視化した現象でもないのかもしれない。

ただ、私がこう考えるのは「転生」願望、つまり「生まれ変わり」願望から来ているのではないかと思えるからで、その願望はもしかしたら若者自身も意識的には考えておらず、無意識に抱いているのではないか、ということ。

ここ何年か、自殺願望を持つ(主に)若者に対し、SNSで「自殺ほう助」をほのめかし、自殺を手伝ったり、殺人を犯したりするような犯罪が増えているようにもお思える。殺人も自殺ほう助も犯罪行為に違いないが、「自殺願望」を持つ(主に)若者が増えているとすれば、それは前述したように「現世への諦め:の感情から来たものではないか。

正直いって、私も常日頃からこのようなことを考えているわけではないが、ネットの記事などで「自殺ほう助」に関するものを目にする機会もないわけではない。それに、ちょっと前にAmazon Primeで『ブラックジャック』のアニメを観た影響も少しはあったかもしれない(ブラックジャックには、安楽死を手伝うドクター・キリコが登場する)。

それともうひとつ、「現世への諦め」は考えすぎかもしれないが(中にはそう考えている人も残念ながらいるとは思う)、この考えを抱いたのは、これまた少し前に読んだ書籍の影響があるかもしれない。その書籍というのは、この一冊というわけではなく数冊を読んでいたので書名は控えるが、仏教関係のもので念仏を唱えることで救済される、といった内容などについて主に記されたもの。鎌倉時代の僧侶、親鸞の思想や行動などについて書かれたものだった。

さらっと触れるつもりが、自分でも思った以上に真面目な感じになってしまった。「なってしまった」と表現したが、書いたらまずいと思っているからではないものの、あまりシリアスにとえらないでほしいと考えているからだ。シリアスにとられないでほしいといっているからといって、どうでもいいと思っているのではもちろんない。重すぎず、軽すぎず、といえばいいだろうか。

「転生」流行りが、「現世への諦め」が具現化した現象でなければいい。私のたんなる考えすぎだとしたら、「それはそれでよし」なのだ。

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