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愛しさと切なさと儚さと

理由はわからないが、小学校の頃から外に出ない日はいつも頭が痛くなる。
ゲームが好きで割とインドアだったので、一日中ゲームをすることもあったが、夕方ぐらいから徐々に気が病みだし、鬱々とした気分になる。

どう表現していいのかわからないが、
夕方に映画を観に行って、終わると夜になっていた時の気分に似ている。
部屋にこもり、時間の変化に気づかないのが嫌いなのかもしれない。

なにはともあれ、そういう体質らしく、
社会人になってから、休みの日は意地でも外に出るようにしている。

ネットフリックスで映画を観ようとしても、
わざわざカフェまで行ってネットフリックスを見る。
寝る以外の空間は自室以外にいたい。

最近の休日はというと、
カフェで読書をしたりyoutubeを見たり、ちょっとコントを考えてみたり。
疲れてくると、別のカフェに移動し、また同じことの繰り返し。

今日も昼過ぎまでコメダ珈琲で過ごし、疲れたので、別のカフェに移動。
歩いていると寂れた商店街があった。

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ほとんどの店が閉められており、昔のフォントなどが趣を感じる。
数店舗のみ今も営業をしているらしく、ストーブの匂いが祖父母の家を思い出した。

栄えていた頃が戻って来ればなぁと残念に思う反面、
寂れているのもそれはそれで哀愁があって良い。

大学生の頃、インターン先の先輩と京都の古びたストリップ劇場に行ったことがある。
昭和の古き良き空気感を感じられると思い、興味本位で向かった。

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ショーは数十分単位で変わっていくので、途中からでも入館可能。
19時〜22時の講演だが、仕事終わりに行ったので21時ごろに到着した。
入場料5,000円だったが、受付の人がギリギリなのでと3,000円に値引きしてくれた。
特になにも言わなければ5,000円を払おうと思っていたが、気前がいいなと感心する。こういったところも昭和っぽいのかなと、想像してみた。

ステージに入るまでに休憩室があり、タバコの匂いが充満している。

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ソファの皮は破れたままになってしまっており、味があった。

休憩室の先にステージがある。
艶かしいネオンカラーに、熱狂する男性たちの汗臭さと香水の匂いが混じりあう。そんなどこか小説で読んだようなステージを想像していた。

そんな甘美なイメージを持ったまま、ステージの扉を開く。

期待は裏切られた。

半円状の50人ほど収容できるステージに、観客はわずか3人。
初老にさしかかった男性たちがそれぞれまばらに座っている。

思わず先輩と顔を見合わせた。
お互い想定外だったらしく、無言でうなずく。
決心した顔をしていた。(多分)

とりあえず座席に腰掛け、次のショーの始まりを待つ。
数分経つと、今まで流れていたBGMが変わり、ショーが始まった。

仮面をつけた女性が音楽に合わせて舞台袖から現れ、ダンスが始まる。
音楽に合わせて、手拍子をしてストリッパーを盛り上げるようなのだが
数十人収容できる会場に5人の手拍子はかえって悲しさを感じてしまう。

舞台からランウェイのような細長い道を歩いて観客席まで向かってきた。
ランウェイ奥にある円形のステージまでくると、
ストリッパーが観客に向かってポージングをする。
人が少ないせいもあってか、ポージングでは一人一人に視線を向ける。

円形のステージは回転する仕組みになっており、
アクロバティックな体勢を保ったまま、女性が回転した。

思わず「お〜」と感心の声が出てしまう。

音楽やダンスに合わせて、徐々に服を脱ぎ、露出度が高まっていくのだが
官能的な表現はあくまで音楽やダンスの中の一要素でしかなく、
一つの作品をみているよう。自然と惹き込まれていた。

演劇を観ている時と感覚的には近く、
ショーの世界観に入り込んでいるような感覚になっていた。

そして、ショーが進行する中で女性が仮面を外した。

40代後半ぐらいで、親と変わらない世代の女性だと分かる。

今までの世界観が全て崩れ、現実に引き戻された。

ランウェイを歩き、ステージの中央へ向かってくる。
今までの流れを踏まえると、観客に向けてのポージングがある。

仮面をつけているときは表情が見えず、作品の中の女性という認識で観ることができたが、顔が見えると、現実に存在する人間として認識してしまう。

ちなみに、古代ギリシアでは演劇で使われていた仮面を「persona」と呼び、それが転じて「人」「人格」の意味になったらしい。
仮面がうまくその人らしさを隠す意味合いもあったのかなと思う。

急に現実に引き戻され、こっちまで来ないでくれと願ったが、
そんなな願いが叶うはずもなく、ストリッパーはこちらへ歩いてくる。

そして円形のステージに辿り着き、自分の方に向かってポージングをした。

お互い目が合う。

一瞬、女性の顔が引きつったように感じたが、
すぐに元の表情に戻り、ショーを演じ切った。

周りの観客たちは食い入るように彼女を見つめていたし、
女性も最後まで女優だった。

音楽が鳴り止み、皆拍手を送る。
そして1回目のショーは終わった。

新しいストリッパーのショーがこの後も続くらしい。

先輩はタバコを吸いにいくといい、休憩室へ向かった。
自分も一度席を離れそうと思い、休憩室へ。

そして、次のステージを観ずにストリップ劇場をあとにした。
特に帰る理由はお互い言わなかったが、
なんとなく同じようなことを感じたのだろう。

帰りに、ストリップ劇場の近くにあったラーメンを食べた。
お互い「凄かった」という曖昧な感想だけを話し、
特にそれ以上ストリップの話はしなかった。

ラーメンを食べながら、数十分前のショーのことを頭の中で思い返した。
数十年前までは、四方八方から歓声が上がり、煌びやかなステージだったのだろう。
そんな過去の華やかさもなくなってしまっているのだろうが、
ストリッパーの女性はカッコよかったし、観客の目も死んではいなかった。

儚く消えていきそうな文化をなんとか守ろうとする人たち。
自分たちが立ち入るような場所ではなかったが、
生き様を感じ、カッコよかった。


そんな昔の出来事をふと思い出し、そのストリップ劇場を検索した。
今も細々と営業しているらしい。
いつかは無くなっていくのかもしれないが、今存在しているということ、
なんとか残そうとしている事実に胸が熱くなった。

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