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中庸

12月に入って、生活環境の変化が二つあった。
一つは先月に比べ、イベントが大幅に増えたこと。

5連休をもらったので、遠い友達に会いに行ったり、家族と過ごしたり。
良くしてもらった職場の先輩達が退職するので、連日夜中まで遊んだり。

そんな楽しい変化に加えて、もう一点変化がある。
数ヶ月住んでいたシェアハウスを12月に引っ越した。

今までは20人ほど住んでいる比較的大規模のシェアハウスだったが、
次に住むシェアハウスは入居者が自分一人。
シェアハウス用の大きなリビングを一人で独占するのはどこか物悲しく、
自分とは程遠い存在であったメンヘラになってしまいそうな勢い。

そんなメンヘラ化が進行していた自分を見かねてか、
職場の先輩達がシェアハウスに来て、
オールで『流星の絆』を一気観する会を開催してくれた。

20代も半ばに差し掛かった体、一晩で全て見てしまうことは不可能になってしまっていたが、翌日になんとか観終える。
その日の夕方、以前住んでいたシェアハウスのルームメイトに呼ばれ
ハウスパーティーに参加した。
ずっと人と過ごし、充実した休みの日。
その日の夜はサウナに入りたかったので、カプセルホテルで就寝し、
翌日に今のシェアハウスに戻ってきた。

楽しかった分、妙な虚無感が襲う。
特に観たくもないがとりあえずネットフリックスを流すが、全く頭には入ってこない。

この感覚、昔あったなぁとモヤモヤしていたのだが、
遠足の帰りを思い出した。

修学旅行などの、大きめの学校のイベントごと。
楽しめば楽しむほど、帰宅前後で辛くなる現象が毎回あった。

たいてい帰りのバスの中で、現実に戻らないといけないという事実から目を背けたくなり、家に戻ったタイミングで虚無感で死にそうになる。

非日常と日常のギャップが大きすぎると、
元に戻るまでの体力も大きくなる。

何事もバランスが大事で、あまりにも大きな環境変化があると、
どこかストレスを感じてしまうようだ。

ライフステージが変わった時なんかは顕著で、
楽しさもある一方で、急にどっと疲れがやってくることが多い。


日本特有の文化に「ハレとケ」という考え方がある。
「ケ」は日常的な生活の営みで、「ハレ」は祭りや儀式など非日常の営み。
「ケ」でたまった汚れを落とすことから「ケガレ」という言葉が生まれたとか生まれてないとか。
農作業などで溜まった汚れを消し去る的なニュアンスなんだろうと思うが、日常のストレスを解消するという意味ではさっきの話と似たような気もする。

あまりに綺麗になりすぎると、汚れを極端に嫌ってしまう。
むしろ多少汚いぐらいの方が、生きやすいのではと思ったり。

何事も極端になってしまうと跳ね返りが大きく、
中庸に生きるのが心身ともに健康だなと。

それでも極端に変わりたくなるから、難しいところではあるが。

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