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ギターがうまいと楽しいのか?

とりとめもない話
まぁ、いつもだけど

「それだけギター弾けると楽しいでしょ」
「それだけうまいと楽しくて仕方ないだろうね」
って言われることがあるんだけど

なんなんだろうな、その価値観は

ちなみに、僕のギターはさしてうまくはない
弾けない人から見たらうまいというだけの話

うまいか下手ではなく
初めてギターを手にした時から楽しいし
なんだったら、初めてギターを弾いてみたいと思った時から
ギター演奏聴いてるだけで楽しかったけどな

自分が楽しいからやる

これをどこかに忘れてきたのか?
僕らは、うまいとか金になるとかなんだとか
そんなことのために本当は生きていない

僕はギターが弾けるようになっていくのは楽しいし弾いてても楽しい
さらには、それを自分の作品に生かしたいと思うから嫌な練習もやろうと思う

やりたくないことについてはびっくりするほどやらないし

で、質問したあんたはうまくないと楽しくないのかい?
って話なんだよ

と、ここまでグチグチ書いて
ふと思ったことがある

楽そうに演奏してる人見ると
なんか楽しい気持ちになる
演奏のうまい下手じゃなくて
楽しい気持ちにさせてもらえる

果たして、僕がライブをやっていた頃
楽そうにやっていたのだろうか

たぶん、眉間にしわ寄せてやってた気が、、
僕は歌うこともライブも好きではないのだけど
自分の音楽を広める手段としてライブもやっていた
という感じ

そんなやつの演奏みても響かないよね
最近、ある人のギターの動画見てて思った

この人の演奏がまた聴きたいって思うは
うまいからって理由なだけじゃなくて
この人が楽そうに弾いているからかも
ってことに

実際、うまくても一回見たらそれっきりの人もいる
好みの問題もあるかもだけど

話すことや演奏ってのは、発されている言葉や音以上に
目に見えない感情や気持ちのオーラみたいなものが伝わっているのではないかってこと
これは、言語と音楽の問題にも繋がる

言葉や音っていうのは、共通認識されている記号にすぎない
すなわち、発せられた言葉や音には意味以上のものは何もなくて
事象でしかない
でも、そこに感情や質感熱量を乗せるのは
発した人そのものから醸し出されているということだ

わかっているようで改めて納得したような、、

話がずいぶんそれたけど
ギターが楽しいのはうまいからではないし
楽しまないと鳴らしてる音楽以上のものは
伝わらないということだよ

なんか、昨日の話にも通じるな
ま、いっか

そんな感じ
なんか、ウダウダうるさいオヤジになってきたなぁ

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