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名選手で名監督。教師としてのベートーベン

ベートーベンの幼馴染の息子であるゲールハルト・フォン・ブロイニングが自作曲をベートーベンに見てもらっ時のエピソード

ベートーベンの晩年、少年だったブロイニングはベートーベンになつき、ベートーベンもまた「ずぼんのボタン」や「アーリエル」とあだ名をつけて可愛がっていた

尊敬するベートーベンのように曲を書きたいと思い立った少年ブロイニングは、曲を書き、勇気を持ってそれを死が間近に迫り床に伏せていたベートーベンに見て欲しいと願い出た

その時の様子をこう語っている

「どんなものができたか、まあ見せてごらん」と彼は私にほほえみかけながら言った。彼は楽譜を手に取り、たんねんに目を通すと、鉛筆を求め「一箇所、このバスをプリモと同じ音に書いたところがよくないだけで、あとは申し分ない」と言い、私の原稿に鉛筆で、間違ったバスの音符のかわりに正しい音符を書き込んでから、返してくれた。
するとハースリンガー氏(ベートーベンを見舞うためにその場に居合わせた)も私の作品を吟味したが、気がなそうにわきへ置いたのを見て、私はすぐにこの曲がどの程度のものかのみこめたように思った。
(ベートーヴェン訪問 M・ヒュルリマン(著)酒田健一(訳))

このエピソードにベートーベンの音楽家としても人間としても器の大きさを感じる

死を間近に床に伏せているのである
しかも、客人も来ている状況
断ることもできたし、適当にほめることだってできたはずである

それをたんねんに見てアドバイスをし、鉛筆で修正を行っている
ここからベートーベンという人について伺えることは多い

ベートーベンは人の作品に興味があり、若い頃から彼を訪問する音楽家が作曲をしていることを知ると作品を見せて欲しいと言ってた
相手が少年であっても例外なく興味があったのであろう

何より、そこから見えるベートーベンの教師としての偉大さを感じる


私情をはさみたい

僕が音楽大学の作曲学生だった頃、僕の指導教官は作品を見せても「こんな曲はダメだ」とか「まだまだ実力不足だ」と個人的感情に乗っ取った指導を行っていた

それに嫌気がさしていた僕は、当時、非常勤講師として赴任したばかりの川島素晴先生に出会い

「指導教官がちゃんと見てくれないので作品をみてほしい」とお願いしたところ「もっておいで」と快く引き受けてくださり、見て頂いた
(それをきっかけに今日に至るまで、生涯の師としていまだに頭が上がらない)

この時、川島先生が僕に言ったことは

「この音楽の面白さを最大限に引き出すためには、この楽譜の書き方でいいのかな?この音楽を君が思っている通りに表現するためには他の書法があるかもしれない」

ということだった
個人的な感情は一切なく、作品の本質を見抜いて作品が作曲者の意図通りに表現可能か?というところに考えが及んでいた

衝撃だった

その後、あるフォーラムで川島先生の師の1人である近藤譲先生に作品を見てもらう機会を得た
もはや僕にとっては神的な存在である

近藤先生は作品について

「この音楽は、この音とこの音が出会った瞬間が一番面白くなるわけで、そのためには本当にこの譜面の書き方で演奏家からその音響を引き出すことができるかな?」

衝撃だった

川島先生と同じく、個人的感想ではなく作品の本質を見てその表現を120%実現できる方法について指摘されたのである

こういう方から川島先生のような作曲家が育つのだな
と感動した瞬間であった


話を戻す

ベートーベンは、少年ブロイニングの作品を見て「この少年はこの作品でどのような表現をしたいのか」ということを汲み取ったに違いない

つたなく未熟で大した作品ではなかったかもしれない

しかし、そんなことは関係なく
ベートーベンは一つの作品として真剣に読み込み、1人の音楽家に対する態度と同様にアドバイスをした

偉大な音楽家は指導者としても一流だったのではないかと思う

実際、フェルナンド・リースやカール・チェルニーといった優秀な人材を輩出していることからも間違いないだろう

そんな指導者としてのベートーベンの顔を垣間見ることのできるこのエピソードが僕は大好きである

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