豆腐とファゴットと私
ここ最近、豆腐を作りたいと思っている
とりあえず手頃な「豆腐作りキット」なるもので挑戦しようか考え中である
僕は豆腐が好きではない
鍋に入っている豆腐など、一切手をつけない
が、しかし
はっきりと嫌いと言えるほど、かたくなに食べないわけでもなく
麻婆豆腐であれば、豆腐以外は大好きなので
豆腐が入っていることは我慢して食べる
程度には食べる
では、なぜ豆腐をつくりたいのか
ひょっとすると本当においしい豆腐を食べたことがないのではないか?
という素朴な疑問がわいたからだ
元来、豆腐とは家庭で作られるものであり、「にがり」を使用して固めていたわけだが、今や「塩化ナトリウム」などの凝固剤で固められ、添加物たくさんの豆腐がスーパーに並んでいる
まぁ、それは豆腐に限らずなんでもそうなので、別にそれをとやかく言いたいわけではないのだが
要するに、そういったものではない、本来の製法によって作られた豆腐であれば
おいしいと思うかもしれないと思ったわけだ
食べてみないとわからない
そこまで豆腐に執着する必要もないから別に良いと言えば良いのだが
気になってしまったのだから仕方がない
話は変わる
先日、フランスの作曲家・サン=サンースのファゴットのソナタを聴いて、自分はファゴットの音色が好きなことに気づいた
思い返せば、20年前
ドイツのダルムシュタットで開催される音楽の夏期講習会に参加した際
イタリアの作曲家・ベリオのファゴットのソロ曲を聴いて以来、何かとファゴットが気になっている自分がいた
そのことを特に気にしたことがなかったが
サン=サーンスのファゴットのソナタを聴いた時
「ファゴットの音好きやん!」
と、20年の時を経てようやく気づいたのだ
遅すぎる(笑)
それから、毎日色々とファゴットの曲を聴いているのだが
不思議なことに、大して好きではなかった作曲家
例えば、バッハやモーツァルトのファゴットを使用した曲を聴いて感動している
思わず、新たな発見が続いているのである
話を豆腐に戻す
つまり、好きではないと思っている豆腐も
自分で手間暇をかけて、昔ながらの製法で作れば、ひょっとするとおいしいと思うかもしれない
なんなら、豆腐が好きになるかもしれない
あの存在意義が全くわからない
豆腐とか言う食べ物を好きになったら、冬の鍋の楽しみが増えるではないか
嫌いなものより好きなものが多い人生の方が楽しく生きられる
小さいことだが、その方が絶対に楽しい
早く豆腐を作りたい
作ってみて、ガッカリするかもしれないが、少なくとも今はそれだけでもワクワクして楽しみが1つあることは間違いない
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