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ベートーベンを売った男・シントラー

ベートーベンという人となりを世に知らしめたのは、ベートーベンの晩年に付き人をしてたアントン・シントラーという男だ

この違和感しかない男について、僕なりの見解に触れておきたい

シントラーは晩年にベートーベンの生涯という伝記を執筆したのだが、執筆にあたってベートーベンの貴重な資料である「会話帳」(晩年のベートーベンは耳が聞こえなかったため人と筆談を行っていた。当時、実際に使用されていた帳面や用紙)を改ざんしたという疑惑があり、とにもかくにも真実を捻じ曲げて書いているというのが最近の研究の常識となっている

シントラーは、自分をベートーベンの無給秘書や弟子と称しているが、ベートーベンやその周辺の人間からは信用がなかった

学業については優秀で、プライドが高く、自分の正義を疑わず自分が絶対的と信じてやまないタイプの人間だったようで、まともな教育を受けていないベートーベンをバカにしていたところもある

とは言え、音楽家としてのベートーベンを神のように尊敬していたことは確かなようだ
いや、尊敬というよりも理想とする音楽家像をベートーベンに重ねたというのが正しいのかもしれない


当時、音楽家としての地位も名誉も確立していたベートーベンは、多くの人が会いたがったし、何かしらの縁を求められる存在であった
シントラーもその中の一人である

幸運にもそんなベートーベンと懇意になったシントラーは、徐々にベートーベンに何かと自分の考えを進言するようになる
また、対外的にも自分がベートーベンの窓口だと吹聴し、安易にベートーベンに人を寄せ付けないようにも仕向けていたようだ

有名人だからというだけで近づく人間を嫌ったベートーベンとしてはちょうどよかったかもしれないが、それはシントラー自身も例外ではなく、ベートーベンは下心で持って近づいてきた輩とみなしていたのだろう

ベートーベンに対して自分のイメージ像が強く、実際のベートーベンはそのイメージと異なるため、自分のイメージにはめこもうとした節が多く見受けられる

自分の意志で自分の思うように生きているベートーベンにとっては相当に鬱陶しい存在だっただろう

昔、ビートたけし氏が、「芸人にこうした方が売れると聞いてもいないアドバイスをしてくるマネージャーは、大抵自分が元芸人でうまくいかなかったからマネージャーになったタイプ」と言っていたが、シントラーもその匂いがする


ベートーベンは、高収入を得ていたにもかかわらず、常に貧乏だったという証言が多いが、僕は最初シントラーを疑った

現在にも多い話だが、窓口となるマネージャーがクライアントに高額をふっかけて、アーティストにはクライアントが金払いが悪いと言って自分が中抜きをしてアーティストには少額しか渡さないという手口
シントラーもそうではないかと疑ったが、それについては潔白のようだ


シントラーは晩年、ベートーベンの伝記に着手するわけだが、僕の違和感はまさにそこにある

本当に尊敬する師匠であるならば、そんなことができるであろうか?
僕は自分の師匠のことを本にするなど、恐れ多くてできない

実際、ベートーベンの愛弟子であったカール・チェルニーもフェルナント・リースも回想録にとどまっている
それも自発的なものではない
師匠との大切な思い出なのだ、それが当たり前だろう

仮に伝記を書こうと思い立った場合、あることないことをでっち上げてまで書くだろうか?
ある程度の誇張した表現はあるだろう
しかし、「会話帳」を改ざんしてまで自分を正当化するなどと卑劣極まりないことがあってよいのだろうか

「会話帳」は後世においては歴史的価値の高い資料であるが、もしこれが弟子や友人から見れば「大切な思い出」なわけで、そんな思い出をやすやすと改ざんしたり燃やして処分したりなんてことができるのだろうか?

もはや、ベートーベンを憎んでいたのではないか?
と疑いたくなる
もしかして、イメージと違ったり自分の言うことを聞かないベートーベンに対して、愛情が愛憎に変わってしまったのではないだろうか?

シントラーの立場になれば同情の余地はあるのかもしれない
会話帳の改ざんや処分についても疑惑もあくまで疑惑であり、真実はわからない
しかしながら、無給の秘書を謳いながら著作を出版し、2回の改訂を行っていることは確信犯であり罪深い

著作権料を受け取ったかどうかはわからないし興味はないが、少なくともベートーベンも名前を借りて何かしらの利を得ていることは確かである
(ベートーベン関連の仕事を請け負うなど)

人間誰しも虎の威を借りるようなことはあるだろう
多少の誇張だって仕方がない
僕自身、師匠の名前を出すことで助けられた場面は幾度とある
それを考慮して百歩譲ったとしても、彼の肩は持てない

それが証拠に、音楽史に彼が一人の音楽家として登場することもなければ、ベートーベンを語られる時に犯罪者的な目で語られるという不名誉しか与えられていない


偏見と独断かもしれないが、こういうタイプはとにかく信用ならないし、個人的には甚だしい嫌悪感しか抱かない

ただ、一点だけ評価をするならば、ベートーベンの生涯という著書について、事実をさておき小説として読むのであれば大変素晴らしいという点である

長い間、研究家さえも欺いてきただけのことはある
引き込まれる文章には頭が下がる
ちょっと悔しいが認めざるを得ない

ベートーベンを売った男は、裏切ったという意味でも売り出したという意味でも「売った」と言えるのは皮肉なものだ

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