喫茶店に見る「都市と田舎」
愛知の片隅、当然のように人口減少がひどい田舎の小規模都市で喫茶店というかコミュニティースペースのようなものを運営している。この街の中では多世代間交流や、域内外の交流が少ない従来の喫茶店からすれば多様な人達が出入りしてくれる(ように思う)。きっと我が街にもある例えば「コメダ珈琲」などはもっと集客できているし、利用している人たちの幅も広いようには思う。けれどもそれは施設全体を統計的に見ればそうした利用だということで、その場に居合わせる個々(または小グループが)が自然発生的に繋がったり、お店側が繋げることはない。そう思うと、多世代間が同じ空間を利用していも大切なのは「個」が守られていることであり、そうしたある種の公共性の担保が施設の使いやすさを生んでいるんだろう。そう思うと自分が運営している施設は全くその逆を行ってると言えるかもしれない。どちらが良いのかはわからないし、結局のところどちらも必要で「使い分ける」のがベストなのだろうし、利用者も自然に使い分けているはずだ。よくよく考えるとこうした構図や価値提案というのはまさに選べるサービス体系を通して、それぞれの施設内で与えらた空間のありようや、個と個の繋がり方、価値の提案など様々な点において「都市と田舎」の関係性に似ているのかもしれないなと思う。