熊野権現御垂迹縁起(2)

この縁起の内容ですが、ネットで読むことができます。興味のある方は検索してみてください。ここでは要点をご紹介します。中国天台山の地主神の王子信が高さ1mほどの八角形の水晶の姿で九州の英彦山(ひこさん)に降臨してしばらく留まり、次に四国の石鎚山(いしづちさん)に移り、そこから淡路島の諭鶴羽山(ゆづるはさん)に移り、そしていよいよ和歌山に上陸。現在の日高郡印南町の切目(きりめ)、原文では、「紀伊国無漏郡切部山乃西乃海乃岸乃玉那木乃淵農上乃松木本渡給」。なんかよく分かりませんが、要するに切目の海岸の松の木の下に移られたということでしょうね。なお、この切目には五体王子の一つである切目王子が現在も存在しますし、この王子に関しては面白い伝承がありますから、別の機会に紹介したいと思います。ここで57年過ごし、そして神倉(原文では神蔵)の「ごとびき岩」に降臨します。原文には「ごとびき岩」の名前はでてきません。そして神倉山から阿須賀(あすか)神社の北の石淵(いわぶち)の谷で祀られたという展開になります。ここには現在貴祢谷社(きねがたにしゃ)があります。場所は縁起にもあるように、阿須賀神社の北、熊野川を渡った三重県南牟婁郡紀宝町鵜殿(きほうちょううどの)にあります。平成の合併までは日本一面積の小さい鵜殿村でした。私は訪れたことはありませんが、矢淵中学校の裏手にあるそうです。知られざる熊野の神ゆかりの場所です。そしてここで初めて熊野の神のために社殿が造られます。さてここで祀られた神とは?原文では「結玉家津美御子登申」。結•玉•家津美御子の神が二つの社殿に祀られました。玉は速玉、家津美御子は本宮の主祭神。では「結(むすび)」とは。熊野夫須美神は牟須美(むすび)神とも言われていました。三山の神が石淵の谷で初めて祀られたということになります。ここで13年過ごし、いよいよ本宮に移動します。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?