イザナギの黄泉の国訪問ー速玉之男と事解之男の登場

『日本書紀』と『古事記』は日本の国の成り立ちについて奈良時代の初めに成立した歴史書です。このうち書紀は国家の正史としての性格を持っています。中国との交流において独立国家としての基本となる歴史書として編纂されました。誤りがないように正確にということから、いろいろな異説も排除せずに「一書曰」として記述しています。その結果、かなり煩雑で分かりにくくなっています。その反面『古事記』が排除してしまった異説を知ることができます。『日本書紀』の「イザナギの黄泉(よみ)の国訪問」の一書第十は『古事記』が伝えていない伝承です。そのストーリーです。『イザナギはイザナミを愛おしく思って訪ねて来たと言います。イザナミは自分の姿を見ないでと言いますが、それを無視して見ていると、イザナミは恥ずかしくて、イザナギに本当の姿を見られたから、私もあなたの本当の姿を見ますと言います。イザナギは恥ずかしくなり、帰ろうとして、「もう縁を切りましょう」と言い、さらに「あなた(イザナミのこと)には負けないぞ!」と言います。そしてイザナギが唾(つば)を吐きます。その唾から生まれた神を速玉之男(ハヤタマノオ)と言います。次に掃き払って生まれた神を、泉津事解之男(ヨモツコトサカノオ)と名付けられます。二柱の神が生まれます。イザナギがイザナミと泉平坂(よもつひらさか)で言い争いをしたとき、イザナギは最初にイザナミを恋しく思ったのは自分が弱かったからと言います。これを聞いた泉守道者(ヨモツチモリビト)がイザナミの伝言をイザナギに伝えます。その伝言とは「私はあなたと国を生みました。もうこれ以上国を生むことはしません。この国(黄泉の国)にいます。あなたと一緒には参りません」。このときに菊理媛神(ククリヒメノカミ)が何か言われた。イザナギはその言葉を聞いて媛を褒められた。イザナギが自分自身で黄泉の国に行かれたのは良くないことでしたから、それでその穢れをすすぎ洗おうと出かけられた』。そのあとは『古事記』や『日本書紀』の本文ではイザナギがみそきを行い、天照大神、月読、素戔鳴が誕生しますが、この一書第十では展開が違っています。
一書第十では、泉平坂の場面でイザナギ、イザナミのほかに速玉之男と泉津事解之男、泉守道者、菊理媛神が登場しています。速玉之男は熊野速玉大神として、この神はイザナギの吐いた唾から生まれとあります。イザナギは自分が弱かったから亡くなったイザナミに未練があったが、これからは縁を切って自立しようという決意で唾を吐いたという状況です。唾はイザナギの体内から出ていますから、イザナギの分身ということになります。速玉はイザナギそのものと言えます。では泉津事解之男はどうでしょうか。その唾を掃除したとありますから、イザナギの分身ではないです。泉津とありますから、黄泉の国の神、イザナミ側の神ということになります。イザナミの伝言を取りついだ泉守道者も同様です。突然現れた菊理媛神はどうでしょうか。この神は白山神社の祭神の白山比咩(シロヤマヒメ)神とされます。さてこの媛がどういうことをイザナギに言って褒めらたのでしょうか。とても気になります。書紀編纂者に聞いてみたいところです。
速玉の神は速玉大社の主祭神ですが、「事解之男とはどういう神なのか」とても気になります。探ってみることにします。


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