布都御魂の真相は?

菅政友によって発掘された剣は、形状が内反りということで、これは通常の日本刀とは逆で刃の方に湾曲しています。片刃の鉄刀とありますから、結構錆びていると思います。埋納されていなかった七支刀でも錆びていますから。柄頭に環頭が付いており、全長は記録によって微妙に異なりますが、85cm位ということなので、七支刀よりも長いです。発見された剣は大正2年(1913)に新しく造営された本殿の内陣に奉安されて御神体として祭られています。その際に刀鍛冶の初代月山貞一(がっさんさだかず 1836~1918)が作刀した布都御魂剣の複製2振りが本殿中陣に奉安されました。
布都御魂は『日本書紀』では韴霊剣、『古事記』では布都御魂剣、佐士布都神(サジフツ)、甕布都神(ミカフツ)とも言うとありますが、この表記のうち、佐士布都神の「さじ(佐士)」は「さひ(佐比=刀の語)」の誤記と見られているそうです。名前にある「ふつ」とは「断ち切る」様を言うとありますが、刀は切るのが使命の武器ですから、「断ち切る」のは当たり前です。私は「フッ」と息を吹きかけて生気を与えると理解しています。ちょうど十種神宝の邊津鏡に息を吹きかけて正気が備わっているかどうか判断するように。『日本書紀』では「韴」と表記していますが、「韴」は音読みで「ソウ」、意味は「ものを断つ音」。『日本書紀』ではこの刀がよく切れることを強調する意図かあるように感じます。
この剣はタカクラジから神武の手に渡り、神武の治世ではニギハヤヒの子であり、物部氏や穂積(ほづみ)氏の始祖と言われる宇摩志麻治命(ウマシマヂ)が宮中で祭っていましたが、崇神天皇の代になって、同じく物部氏の伊香色雄命(イカガシコオ)によって石上神宮に移され御神体となります。そしてやがてこの剣は拝殿の裏手の禁足地に埋められました。なおウマシマヂは石上神宮で配祀神として祀られています。同様にタカクラジは末社の神田神社の祭神です。伊香色雄命(『古事記』では伊迦賀色許男命)は崇神天皇7年に大物主神を祀る「神班物者(かみのかづものあかつひと=神に捧げる物を分かつ人)」に任じらたと伝えられています。彼の同母妹に伊香色謎命(イカガシコメ)がいます。彼女は孝元天皇の妃から開化天皇の皇后となって崇神天皇を生んだとされています。『記紀』の記事をみると、崇神天皇には霊感があったことがうかがわれます。母方の物部氏の霊能力が遺伝した結果かもしれません。ウマシマヂもイカガシコオもともに祭祀に関わっていますから、物部氏が軍事だけでなく、神の祭祀者としての性格を持っていたことが分かります。
また『旧事本紀』には、ウマシマヂが十種神宝を使って神武の心身の安寧を祈ったとあり、これが現在でも宮中祭祀として行われている鎮魂祭(ちんこんさい、みたましずめのまつり)の始まりとされ、鎮魂祭は石上神宮でも、タカクラジと同一とされるアメノカグヤマを祀る彌彦神社でも行われています。
石上神宮には、御神体の布都御魂剣の他にもう一つ、神話に起源を持つ重要な剣が祀られています。次章に続けます。

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