『標葉』と書いて、なんと読む?
最近、よく(?)耳や目にする謎ワード。
『標葉』
この大熊情報noteでも、夏祭り開催記事と、野馬追の記事で出てきたかと思います。
(夏祭りのチラシに『標葉祭り2022』のお知らせが載ってます。)
早々に答えを。
『しねは』と読みます。
『大野駅』の由来記事の後半で少~しだけ触れています。
(大熊情報note愛読者の方は気付いてくれたはず…!)
ネット検索すると『しねは・しめは』と出てきます。
この辺りの方は『しねは』と読むのが圧倒的多数です。
(私の周りの方々も『しねは』派?です。)
『標葉』って結局何??
いろいろと語りましたが、本題に入ります✨
前述の記事で書いた様に、明治の初期、大熊町は『標葉郡』という郡域でした。
※現在の浪江町・双葉町・大熊町・葛尾村が『標葉郡』でした。
それが明治29年、お隣の『楢葉郡』と合併して『双葉郡』になったのです。
(この歴史の話については、長くなるので今回は割愛で🙇♀️)
標葉郡は、相馬藩の領域だったため(ここも話せば長くなります💦)
『相馬野馬追』に出陣するのは、当時の『標葉郡』にあった大熊町までになっているのです。
大熊の歴史の話から、タイムリーに『相馬野馬追』についての豆知識にもなりましたね😊
今回の内容は以上です❗
他にも、大熊町やこの地域のちょっとした『豆知識』をお知りになりたい方がいらっしゃいましたら、ぜひKUMA・PRE にお立ち寄り下さい🙇
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