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こちら側の世界とあちら側の世界を行き来する 〜龍笛を奏でて思うこと

笛の音は古来、向こうの世界とこちらの世界、あの世とこの世を結ぶものと考えられてきました。

あの世というものがあるのかどうか私には分かりませんが、龍笛を吹いていると、隠された世界があるのを感じることがあります。

隠された世界というのは、言葉では表現できないもの、表立って現れないもの、意識ではつかめないもののことです。それは「感じるもの」です。

私たちは普段、頭で色々なことを考えています。誰かに言われた言葉がいつまでも頭を離れなかったり、プロジェクトの進め方を構想したり、スマホで文章を読んだり。そういう時には意識が活発化しています。

龍笛を鳴らそうとするとき、私の内側では、こういうふうに吹いてみようという意思と、なぜ鳴るのかわからないものを意識ではないレベルで探り当て音にしていく行為が、同時に働きます。一本の笛を仲立ちに、意識と意識ではないものが融合するのです。

意識しているものは分かりますが、意識をしていないものは分かりません。分からないのだけれど、感じています。

龍笛を吹くことは私にとって、使い続けた脳の働きを、体へ降ろして、自分の体を実感していくプロセスです。

体を感じる時、考えることとは別の世界が開きます。自分がこの世の中から離れて浮き上がっているような、自分がこの世の外側にいるような感覚です。

私は本当に、笛を吹くことを通じてこちら側とあちら側とを行き来しているのかもしれません。

どこで何をしても、浮世の悩みはつきまといます。そういうときに、理屈の事柄から体で感じる事柄へ自分をシフトさせる――あちら側とこちら側を行き来する――のも、たまにはいいものです。

社会人初心者が、実技も座学も基礎から系統的に学べる、雅楽伝習所を宇治に創りたいです。