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The taste of tea 9

豊臣秀吉は、徳川家康邸に遊びにいくという、狙いを伝えた。

家康は、この話しを受けて、家に帰り、

大きな都市ではいつでも美食で飽きているであろうが、

ただあっさりと茶だけでもてなすのでは、良くないかと思い、

お堂と露地を払い清めて、

自分で、壺の口を切り、

朱斎に命じて一袋の茶をひかせた。

翌朝、秀吉邸に伺い、突然やってきたことを謝り、

すぐに帰り

自分で水屋に入って茶を点検した。

茶が非常に少なかったので朱斎を呼んでなぜかを聞いた。

家康の愛息子の水野監物が

朱斎の止めるのも聞かないで飲んだと聞いて、

家康は、やむおえなく 新しく茶の一袋を備えて、これをひかせた。

時刻が、迫っていて、秀吉の到着に間がない。

加賀隼人はこれを憂いて

先の残りのお茶を持って●然とした。

家康は

「そなたは、近しい家来だから、私の言い方に似ることもあろう。そんな心がけなのか。たとえ間に合わなくても、興ざめされてしまわれようとも
飲み残した茶を上様に進める礼儀があるか?

その心がけでは、そなたの勤務ぶりは正しくないぞ」と戒めた。

茶は体である。

体を離れて茶はない。

この家康の心持ちこそ、客を待つ心である。

この心は水屋の働きであらわれるのである。

喫茶余禄(※)に「茶の湯すぎて和ぐ時にこそ上手下手あれ」と言っている。

茶を点てる間は、大事に思う心の張りによって、粗相ははないが道具を水屋にしまっているときに心に緩みが生じ過ちしやすい。

「徒然草」の有名な「木登りの条」に

「目くるめきは枝危うきほどは己が恐れ侍れば申さず、過ちはや安きところになり、必ず仕ることに候」とあるその言葉は、

この場面に適用しても味がある。


客の前の【敬】 は水屋の【敬】であり、

水屋の【清】はすなわち客前の【清】である。

「君子は明暗を持ってその行を二つにせず」
これはまさに「打成一片」(一切のことを忘れてある事柄に徹底すること)でなければならない。

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水屋の働きは【清】【敬】とを第一にする。

ここに味わいを出すものは「水屋飾り」でここに働きに出せば大変清潔感がある。

「水屋飾り」とは、水屋の棚の飾り付けのことである。
軽いものは上に、重いものは下に、
乾いてるものは上に、湿ったものは下に

器物の安定を大切して、
下に方は浅く置いても、上は奥深く置くということを習慣にする。

洗いに、水を惜しまないが、その水を粗末にしてはならない。

「水を惜しんで水を惜しまない」と言うことを規則とする。

全部の茶器を、洗い清めて飾り付ける、というよりも
再び洗い清めて元の様に片付けるまで、

この【清浄】以外は水屋の働きの何ものでもない。

水屋でする用意を「仕込み」と言う。

棗(なつめ)や茶入れには盛砂のように、茶を山形に仕込むことを貴ぶ。

これを盛る気持ちは、
客に見えるからとか見えないからとか言うことではない。

自分の心が満足するまで正しくきれいに入れるのが【敬】である。

この【敬】と【清】を込めるのが「仕込み」の要である。

柄杓の柄の抜けないように、竹の蓋置き(ふたおき)の割れないように

あらかじめ水に漬けておいておくのも

またこの【敬】の働きに他ならない。

膳(料理の台)に置いた、箸や串の潤いは、洗い上げた主人の心入れを感じさせられて心地良いものである。

水差しに水を入れ、

茶碗に茶巾(ちゃきん)茶杓(ちゃしゃく)を仕込んで
建水(けんすい)に。蓋置き(ふたおき)を仕込むなども、すべてに【敬】と【清】がこもらなければならない。

茶席でもてなす食事のことを懐石(かいせき)と言う。
懐石(かいせき)とは温かい石を懐に入れて寒さをしのぐと言う意味で
ただ飢えをしのげば足りると言う教えである。

なので懐石(かいせき)には牛、羊、豚などの肉や珍味を並べ立てる必要がなく

一汁一菜で充分である。

もてなし(馳走)とは食品の多さを言うことではない。

これを作り。これを進めたいががために主人が駆け回るというすることであるから

主人自らこれを作って、主人自らこれを運んで、客に提供するのが本当の馳走(もてなし)である。

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これを作るのには、

実は道元禅師の教えのように

「喜・老・大」の三つの心を先駆けなければならない。

「喜心」とはで「喜悦心」喜びんでやると理由であり、今から自分が作るものが、
客の聖胎(禅語・仏心)を養い
成長を促すものであると感じる時

自分も知らない心の底からわき出てくる歓喜の心である。


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