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映像翻訳者になるまでの英語学習

こんばんは。コロナの感染者数がまた増えてきて、なかなか落ち着かない日々ですね。インフルエンザやノロウイルスも流行る時期ですので、お気をつけてお過ごしください。

さて、3年かけてようやく掴んだ映像翻訳者になるという夢ですが、そこに至るまで(いや、至るといっても、英語力も翻訳力もまだまだ半人前、もっと勉強が必要ですが…)の道のりを、「英語学習」に絞って書いていきたいと思います。

◎小学校時代◎

私が初めて英語というものに興味を持ったのは、安室奈美恵さんの「Don't wanna cry」と華原朋美さんの「I'm proud」を聴いた時でした(世代がバレバレ)。その当時は小室哲哉さんが一世を風靡していて、私も小室ファミリーの楽曲に超ドはまり。その中でも私が特に好きだったのがこの2曲。あまりにも良い曲だったので、歌詞の意味も全部理解したい!と思い、英語部分の歌詞の意味を母に教えてもらったのがきっかけです。英語ってかっこいいな…と強く思ったことを、今でも覚えています。

◎中学校時代◎

今みたいに幼少期から英語学習を!という時代ではなかったので(?)英語を初めてシッカリ学んだのは中学校に入ってからでした(正確に言うと、小学校6年の時に通っていた塾で予習はしました)。その時の英語の先生との出会いがなければ、今の私はありませんでした。その先生は若い女性で、発音はまさにネイティブそのもの。加えて、はきはきしたしゃべり方、自信に満ちた態度、自分が悪くなければ決して謝らない姿勢(笑)、自分の意見をはっきり述べる…もう、なんというか、アメリカンな先生でした(語弊があるかも)。授業はとても面白く刺激的で、私は英語に夢中になっていました。

卒業間近、先生が言ってくれた一言は今でも覚えています。

「あなたたちは、もう英語が喋れます」

シンプルだけど、なぜか今でもしっかりと覚えている先生の言葉です。

◎高校時代◎

子供のころからとにかく数学・理科が苦手だったので、もはや私には英語しか取り柄がない…ここで英語をあきらめたらヤバイ…という状態だったのがこのころです。実は高校時代はあまり楽しくなく、しかも超~反抗期で外で遊んでばかり、親ともロクに会話なしという暗黒時代でした。親には反抗しまくっていましたが、どこかでビビりな私。とりあえず大学には現役で行っとかないと…という変なガリベン意識から、とにもかくにも英語だけは必死に勉強をしていました。無事、大学には進めました…中学~高校6年間の文法はしっかり頭に入っていると思います。

◎大学1回生~2回生◎

文字通り、四六時中遊んでいました。英語?それ何だっけ?状態。もったいない。英語に強いことで有名な大学だったのに。この2年間、もっと必死に英語を勉強していたら。この2年間、せめて短期でも留学していたら。そうしたら、今よりももっと早く、そしてもっと熟練の英語のプロになれていたかもしれないのに。後悔しても、時は戻せませんね。

◎大学3回~4回◎

塾でバイトを始めるようになり、少しだけ真面目になりました。というか、私は本来クソ真面目な人間です。周りに合わせて、「ちょっと遊んでてカッコいい私」になりたかっただけなのです。真面目で優しいバイト仲間たちにも恵まれて、精神が落ち着いた私は、親とも少し仲良くなれた気が。塾でバイトをしたことで、「英語を教えるのって楽しいな」と初めて思いました。このころ、初めて受けたTOEICは680点でした……何とも言えない。

◎社会人◎

営業職でした。英語をまったく使わず、ただただ激務に追われるだけの日々でしたが、それがかえって、「私、やっぱり英語を使って仕事がしてみたい!」という思いにつながったのかもしれません。よし、ちゃんと勉強して、英語を使った仕事に就こう!と、大学院進学を決意。退職時、TOEICは830点くらいだった気がします。

◎大学院◎

素敵な先生方、良い仲間、一生の親友(になるであろう人)に出会えて、たくさん勉強して時々遊んでバイトして、とにかく今までの人生で1番楽しかった時期です(まだ人生終わってないので、暫定ですが)。専攻などの詳細はあまり書きませんが、大学時代と比べると、勉強量は雲泥の差でした(当たり前か…)。このころ、自分に課していた英語のタスクは↓のような感じ。

☆どんなに疲れていても毎日必ず英語に触れる(甘い…)

☆週末はたっぷり時間をとって英語の記事を読む・英語のニュースを聞く(日本人向けの問題集ではなく、CNN・BBC・CBC・Quartz・Newyork timesなどの、ネイティブが読む・聞くもののみ。あまり気が乗らないときはYahoo USAの知恵袋的なものを読んだりしてました)

☆日々の予習・復習・論文執筆はしっかり。手を抜かない(意外とこれが有効でした)

☆バイトはTAか塾講師

大学院卒業時のTOEICは905点。私はTOEICマニアではないので、2年に1回しぶしぶ受ける感じですが、それでも点数が900を初めて超えたときは素直に嬉しかったです。今では「なぜ翻訳者なのに満点が取れないんだろう…」とか、「話すのは下手なのに900点以上あってもな…」みたいな意識に変わってきました。

◎その後◎

以前にも書いた通り、大学院卒業後の数年間は、キャリアも夢もブレブレで人生絶不調、第二次暗黒時代の到来でした。どんなに落ち込んでても、辛いことがあっても、とりあえず英語だけは続けておこう、そう思ってなんとか勉強はしていましたが、暗黒時代にはTOEICが800点台に下がったことも。それでも勉強を続けられたのは、「私には英語しか特技がないのに」という焦燥感と、「やっぱり英語が好き」という思いからです。このころの英語の勉強は↓のような感じ。

☆週末はたっぷり時間をとって英語の記事を読む・英語のニュースを聞く

☆海外ドラマや映画、ドキュメンタリーを観る(1回目は字幕付き、2回目は英語字幕、3回目は字幕なし)

☆英会話・TOEIC講師の仕事をする

こうして書くと、やってること少ないですね…しかし、まあ継続は力なり。

◎~現在◎

紆余曲折ありましたが、何とか翻訳者デビュー。TOEICは950点。留学なし、純日本人で一応ここまで来れた(?)のは、中学・高校でしっかり文法を押さえていたことが大きいかなと個人的には思ってます。文法はとにかくすべての基礎で、翻訳中も文法の知識に助けられたことは数知れず。今の時代、「英文法はダサい!とにかく会話!ネイティブっぽい発音!スラング!」みたいな風潮もたま~に見受けられますが、私はそうは思いません。この辺りのお話は、また別の機会にゆっくり記載していきたいと思います。

まあそりゃ、一番いいのは、文法もしっかり入ってる上で、発音も正確で、スラングもそれなりに知ってて、会話も完璧!になることですが…まだまだ道のりは遠そうです。

お読みいただきありがとうございました。